第2164回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第2163話 東和洋行ホテル事件 金 玉均氏の遺体を巡る駆け引きのこと。
2018年5月23日水曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
上海の 東和洋行ホテルの2階で射殺された 朝鮮独立党の金 玉均氏の
遺体は、 当初、 日本人旅行者 岩田 周作 なる名前から 日本人旅行者と
して、上海の日本領事館が遺体を管理していたのですが、冷蔵庫などもない
当時、 遺体をどうするかと言う事について、考えあぐねていたところに、清国の
巡補房の役人がやってきて、 「実は日本人ではなく、朝鮮人の罪人で、大朝鮮
国に引き渡すので、 遺体を引き渡してもらいたい。」と、申し入れがあったとさ
れています。
【 上海日本領事館 領事代理 大越 成徳 氏】
当時の上海の日本領事館の 大越 成徳 氏は、考えたあげく、 金 玉均氏の
遺体を 清国の役人に引き渡すことに決定したとされています。
この決定を不服として、 ひとり 東和洋行ホテルの2階にとどまっていた、日本人
和田 延次郎少年は、「 金先生の遺体は、慶應義塾に持ち帰るべきである。」と
抵抗し、 一悶着あったそうです。
大越 成徳 領事代理は、国際法を説いて、和田 少年の話を聞きつつも、遺体
は事件発生国の清国に一旦引渡し、その後の事は清国の上海の役所の決定に
委ねるべきであると 繰り返し諭し、 衣服の一部と、 遺髪をとって、和田少年に
渡し、 これを持って 遺品とするように申し渡したとされています。
和田少年は、 この 金 玉均氏の遺髪と着用していた 服の布地をもって
この 金 玉均氏の 遺髪、衣類を持ち帰って渡したとされています。
後に、 上海領事館の 金 玉均氏の遺体に関する対応が、日本の慶應義塾
一門から批判を受ける事になって行くのですが、 この段階においては、正しい
判断であったとされていたようです。
しかし、 その後の歴史の流れは、 大越 領事代理が想像もしない展開に
なって行き、日清戦争の引き金になって行ったとされています。
【 明日に続く。】