第2166回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第2165話 東和洋行ホテル事件での外務省への批判のこと。
【 前話の続きより。】
上海の東和洋行ホテルの2階で殺害された 自由民権活動家で、朝鮮独立党
の金 玉均氏の遺体を、外務省の上海領事館の大越 成徳 代理領事らが清国
政府側に引き渡したことから、数日後、遺体をバラバラに切断され、さらし者にされた
と日本に伝わった後、 多くの人から批判を受けることになっていったと伝えられて
います。
そして、その後、 外務省が清国と連んで、 金 玉均氏を殺害したとか、いろんな
噂が現在までも連綿として伝わっています。
詳細に、外務省の電報などを精査すると、そうではないことがよくわかるのですが、
結果的に 当時の人達に無慈悲で、ひどい仕打ちに外務省も加担したと思われた
ようです。
帰国してきた 和田 延次郎 少年から子細を聞くことになっていった、福沢
諭吉先生は、 清国の袁世凱将軍らが、何度も日本での暗殺工作に失敗し、
情報を得ながら、 上海におびき寄せ、 暗殺に至ったと悟ったそうです。
つまり、金 玉均氏が連れて歩いていた、 洪 鐘宇 や、呉 静軒は、清国の工作員
で、洪 鐘宇は、当初は 情報を収集する為に近づき、後に、何某かの利益と引き替
えに、金 玉均氏を殺害したと結論ずけ、 呉 静軒は、その支援にあたっていたと
わかったようです。
【 金 玉均氏を暗殺した 洪 鐘宇 氏】
ところで、身分が出世に影響していた当時の 大朝鮮国で、 指名手配されて
いた 金 玉均氏を殺害し、 遺体を漢城に持ち帰ってきた、洪 鐘宇 氏は、当時
通常 ありつけないような 官職に抜擢され、 その身分を得たと伝えられています。
こうして、 福沢諭吉先生と その一門は、自分達が、清国の日本公使館 李 経方
公使達に、騙されたと考えるようになり、 その後、 金 玉均氏の遺体がバラバラに
され、さらし者にされたと伝えられ、それを知ると、 怨みをいだくようになっていった
とされています。
慶応一門は、金 玉均氏を慰霊するため、 日本で 彼の葬儀を行うことに
なっていったそうです。
【 明日に続く。】