第2167回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2166話 東和洋行ホテル事件 金 玉均氏の位牌のこと。


                          2018年5月26日土曜日の投稿です。




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   【 前話の続きより。】


  明治27年4月、 慶應義塾 主宰 福沢 諭吉先生は、東和洋行ホテル事件の

顛末を聞くに及び、 自分達が 清国公使館 李 経方 公使らに、だまされていた

事を悟り、 また、上海の外務省の日本領事館の心ない行為によって、 被害者で

慶應義塾 門下 金 玉均 氏の遺体が、清国海軍によって朝鮮の漢城に運ばれ、



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  袁世凱将軍の命令で、死体に対して凌遅の刑が行われ、バラバラに解体されて

見せしめの為、さらし者にされたというお話しを聞くに及び、 金 玉均氏を不憫に

思い、 東京府 駒込の真浄寺の住職をしていた、慶応門下の寺田 福寿なる

僧に頼んで、 金 玉均 氏の位牌を製作したと伝えられています。 



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                      【 福沢 諭吉 邸】  


    金 玉均 氏の位牌には、 慶応門下の 寺田 福寿 住職が選んだ法名

   が書かれ、 これを 福沢諭吉先生は自宅の仏壇に安置して、彼が亡くなった

   とされている 3月28日から 49日後の明治27年5月16日に、慶應義塾

   となりの自宅で金 玉均 氏の葬儀を自費で行うことにしたと伝えられてい

   ます。

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        こうして、現在の大韓民国の国旗の原型を考え、日本の神戸港

       西村屋旅館の前に初めて テグ旗を掲揚した 金 玉均 氏の葬儀は

       母国 大朝鮮国ではなく、 日本の慶應義塾 主宰 福沢諭吉先生に

       よって、 彼の自費で 位牌か作られ、 弔いの葬儀が行われる事に

       なって行ったとされています。



   【 明日に続く。】