第2169回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2168話 東和洋行ホテル事件 金 玉均氏の墓石のこと。


                      2018年5月28日月曜日の投稿です。



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          【 金 玉均 氏を弔った、慶應義塾 主宰 福沢 諭吉先生】


  【 前話の続きより。】


  明治27年5月中旬、 金 玉均氏が殺害されたとされている日から49日後

 に、東京府三田の福沢 諭吉先生宅で行われた 金 玉均 氏の葬儀には、多く

 の人が弔問に訪れ、その死に至った経緯を聞くに及び、「 復讐するべし。」と

 憤る人や、「 もっと 別の方法は無かったのか。」と、残念がる人が多かった

 そうです。

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  その後、東京府 南青山の墓地に、福沢 諭吉先生が費用を出して、金 玉均

氏の墓石を作ったとされています。

 ところで、 金 玉均 氏の葬儀や、墓地に訪れた人が、 清帝国、特に、袁世凱

や、李鴻章 北洋大臣、 その養子の 駐日公使であった 李 経方に怨みを持っ

ち、復讐を誓ったとされています。

 東和洋行ホテル事件とは、 袁世凱将軍が、自ら朝鮮から送り込んだ刺客は、

ことごとく、失敗し、また、 命を狙われた 朴泳孝氏や 金 玉均氏らも、朝鮮より

の人は警戒して、暗殺できなかった。

 

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              【 金 玉均氏を殺害した  洪 鐘宇 氏 】


  そこで 袁世凱将軍が目をつけたのが、フランスに出国し、フランスで貧乏

 しながら仕事をしながらフランスに住んで フランス語を勉強していた 洪 鐘宇

 という人物であったとされています。

 彼は、低い身分の出身で、 出世したい願望があって、 当時敵国であった

 フランスに出国して、 苦学していたそうですが、大変貧しい、極貧の暮らしぶり

 だったところに、 お金の報酬と、成功の報酬として、 朝鮮での高い地位の

 官職を約束し、 彼を買収し、 日本に向かわせたというのが事実のようです。

  そして、フランス帰りの彼を、 金 玉均氏は、当初は警戒していたようですが、

 徐々に 警戒心を解き、 連れ歩くようになって行ったようです。

 そして、その彼を動かしていたのが、 清帝国 駐日公使 李 経方であった

 というのが慶応門下の調査結果だったようです。

 これらの人物に、慶応一門は、一杯食わされ、騙されて、上海で 一門の

 金 玉均氏が射殺され、 一緒に連れ歩いていた 洪 鐘宇は、実は、袁世凱

 の回し者の暗殺者であったとわかったわけです。



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                   【 朝鮮独立党の朴 泳孝 氏 】



   実は当時、 朝鮮独立党は、神戸を拠点に、 朝鮮半島に諜報員を派遣し、

 なんと、失脚していた 大院君 興宣 と手を結んで、日本陸軍の山縣 有朋

 公を後楯に、朝鮮半島で暴動を扇動し、 政権を倒そうとしていたと言う説が

 あります。



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  いったいどんな陰謀であったのか、 日清戦争の仕掛け人は、実は、朴泳孝

  氏であったという説を 少しずつ紹介したいと思います。



   【 明日に続く。】