第2170回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第2169話 東和洋行ホテル事件 暗殺者 洪 鐘宇氏のその後の事。
2018年5月29日火曜日の投稿です。
【 大朝鮮国の首都 漢城 こと 現在のソウル 】
【 前話からの続き。】
上海で、金 玉均氏を裏切って、突然、 清国公使館 通訳官 呉 静軒
なる人物から 回転式拳銃を密かに受取り、 射殺に及び、 遺体を、清国政府
の上海の役所に談判に及び、 当時の大朝鮮国王の命令と称して、漢城に持ち
帰って来た、 暗殺者 洪 鐘宇 氏は、身分の低い立場だったのですが、袁世凱
将軍や、その周辺の閔氏の事大党と呼ばれる朝鮮人の一派に、その手柄を称え
られ、 官職を与えられ、 通常考えられないような栄誉を得たと言われています。
【 暗殺者 洪 鐘宇 氏 】
当時、 慶応門下で、その拠点を、貿易港であった 神戸に置いて、朝日新塾
なる塾を主宰し、 実の姿は、対朝鮮の謀略拠点であったのですが、朝鮮独立党
の朴 泳孝氏は、 どんどん陰謀を巡らせていたと伝えられています。
にはどうしたらよいのか、 亡命から9年が経過し、 彼等は考えたようです。
自らは、武力を持たず、財政力もなく、 いったいどうするか、 出て来た答えは、
こうだったそうです。
その答えは、「 結集。」 と言う言葉であったと言われています。
勢力や、敵対していた勢力に、 日本から密使を送り、 どのような暴力的組織
や、おかしな組織でも目をつむって、手を結び、 それらの不平不満グループを
まとめて、 油を注ぎ、火をつけて、風を送って、 朝鮮半島を動乱に導き、揺さ
ぶって、大混乱に落とし入れ、 そのすきに乗じて、閔氏の政権を転覆しようと
考えるようになっていったと伝えられています。
の政権から 弾圧を受けていたり、 不満に感じていた人達と、連絡網を
いったのです。
【 明日に続く。】