第2171回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2170話 東学党事件の前夜のこと。 2018年5月30日水曜日の投稿です。






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   【 前話の続きより。】


               結集ーーーー、 あらゆる勢力の結集


   日本の貿易港 神戸港に拠点を置いて、日本人旅行者や、その他に変装し、

 朝鮮半島に潜入し、 まず、当時の政権に反抗的な勢力を調べて、連絡網を

 構築する。

 これが第1段階、 そして、 泥棒であろうが、人殺しであろうが、手を握り、

 資金や武器を供与する。

 これが第2段階、 こうして朝鮮独立党の 朴 泳孝 氏らのグループは、少し

 ずつ、少しずつ、諜報組織のように連絡網を広げていった、 その1つが、

 10年程前まで朝鮮半島を支配していて、清国人に拉致、監禁されていた、

 大院君 興宣 の一派であったとされています。



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                       【 大院君 興宣 】


   以前紹介したように、 大院君 興宣は、国王 高宗の父親で、 高宗を人形

  にして、好き勝手に政治を行っていたのですが、 閔氏と閔妃の一派に追い出

  され、不遇の立場にあったのですが、 彼は 虎視眈々と復権をもくろんでいた

  そこに、 朴 泳孝氏が、日本陸軍の諜報組織と称して接近し、 連絡を取り合う

  ようになっていったとされています。

  ところで、大院君という人は、 日本や、朴泳孝氏を利用していただけで、手を

  組んで一緒に政権をとろうとか、 信用などしてなかったとされています。

  この大院君 興宣という人も、 朝鮮半島で、 至る所で騒ぎを起こし、国を

  揺さぶって、混乱に落とし入れ、その混乱に乗じて、清国や閔氏や、閔妃

  追い出そうと計画していたとされています。



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         【  朝日新塾 主催 朝鮮独立党 の 朴 泳孝 氏】


  つまり、 大院君 興宣も 同様の目的で動乱を計画していて、 両者、

 信用などしておらず、 双方を利用する立場で、手を結んでいったとされていて

 当時、 大院君 興宣は、 宗教団体 東学党に、配下の工作員を送り込み、

 朝鮮半島全土で、宗教を利用して、農民の不満を煽動し、農民の一揆を誘導

 していったとされています。


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  こうして、日本陸軍では、現地の朝鮮語が達者な、朴泳孝 氏らを利用して、

 朝鮮半島を偵察したり、 表に出せないような行為を依頼して行って行くように

 なって行き、 次第に、内々に 武器を譲渡したりするようになって行ったとされ

 ています。  

 そして、朴 泳孝 氏らも、 日々の活動資金を得るために これらの行為に加担

 し、 それを利用して、朝鮮半島各地の 不満分子と連絡を取り合うようになって

 行き、 情報を得たり、 いろんな工作を行って行くようになったとされています。



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   ちょうど、 明治27年 朝鮮独立党の金 玉均氏が上海で射殺された、東和

 洋行ホテル事件が発生した頃、 朝鮮半島で一斉に 農民や庶民による暴動が

 始まって行ったのです。

  これらを煽動していたのが 東学党と呼ばれる 宗教団体で、 その背後に

 大院君 興宣が座って、 指揮をとり、 朝鮮半島のいろんな勢力に使者を

 送り、 暴動や一揆を煽動して行き、 これに、 朴 泳孝 氏らを窓口として

 隠密に日本陸軍が支援していたとされています。



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  当時の 山縣 有朋公周辺は、現在の北朝鮮付近に 大量の石炭の埋蔵が

 商社によって確認され、 黒いダイヤと呼ばれていた これらの地下資源を、

 清帝国を追い出し、 閔氏政権を潰して、親日政権を朝鮮半島で樹立して

 自らの懐に入れようと計画していたそうです。

  これらの事は 当初 当時の内閣総理大臣 伊藤博文公や、外務省には

 内密に行われていたとされています。


 【 明日に続く。】