第2190回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2189話 乙未事変 事件当日の事。


                      2018年6月19日火曜日の投稿です。



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   【 前話からの続きより。】



   1895年 明治28年10月8日 夜中の3時頃、 大朝鮮国訓練隊 2個大隊

 を主力とする 前軍部協弁 李 周會 を中心とする開化派の軍勢は、景福宮

 進入し、王宮を制圧、 寝ていた人をたたき起こして、 閔妃に的を絞り、捜して

 歩いたことになっています。


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                【  国王 高宗の妃 閔妃 びんひ 】


   ところで 以前も紹介したのですが、複数回 閔妃は命を狙われていて、

 影武者の侍女が身代わりになって死んだりしたお話しを紹介したのですが、

 この度の事件も 実際の顔を知っている兵士がおらず、それらしい女官を

 根こそぎ引っ捕らえ、吟味したと伝えられています。


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                 【 国王 高宗の父親 大院君 興宣 】



    言い伝えでは、 大院君 興宣が、閔妃の顔を知っていたので、彼が、

    閔妃を見分して、殺害したとか、 いろんな説があります。

    戦後の朝鮮半島の書籍や、ドラマでは、 ここで日本陸軍の兵士や、

    大陸浪人と呼ばれる 日本人が腰に刀を差して乱入し、閔妃を殺害した

    事になっているストーリーが多いのですが、 実際のところは、日本人は

    いなかったようです。


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 後の大朝鮮国の裁判の記録や、その他の資料を精査すると、 閔妃を捕らえて

殺害したのは、 朝鮮人の訓練隊の部隊となっていて、 国王 高宗や、その他の

人の証言も同様となっています。

 では、 どうして 日本公使 三浦梧楼が王宮に進撃して、閔妃を殺害していった

と言う話が戦後に定着していったのかは、次のお話しで紹介したいと思います。


 【 明日に続く。】