第2192回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2018年6月21日木曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
1895年 明治28年の10月8日頃、 占拠された景福宮に 国王 高宗の
父親の 大院君 興宣 が入り、摂政に戻り、 閔妃の遺体を見分し、「 灰にして
しまえ。」と、遺体を葬儀も行わず、焼却処分を指示し、世間に対して、高札を
書き出し、 閔妃を処刑したことと、 皇后から、最下層の身分に降格する
ことを発表したとされています。
【 復権した 大院君 興宣 】
戻して、 大朝鮮国を支援しながら、共存、共栄を考えていたようですが、かえって
火に油をそそぐ形となり、 朝鮮半島の政治は混乱していったとされています。
【 殺害された 国王 高宗の妃、 閔妃 びんひ 】
大院君 興宣は、大日本帝国が天津条約で清国の軍勢を戦火を交えず、話し
合いで朝鮮から追い払ったにもかかわらず、閔妃が条約に違反して清国の軍勢を
再度呼び寄せ、大日本帝国と我々が清国の軍隊を武力で追い払うと、今度は、
げの元凶である、 殺さなければ、いつまで経っても 朝鮮人の手に政治は戻って
こないと訴えたとされています。
息子と嫁と義父の関係にあった大院君 興宣 と、国王 高宗と閔妃の
人間関係のもつれは、 日本人の物差しには測れない、大きな大きな
対立があり、これが大朝鮮国滅亡の原因になっていったとされています。
【 明日に続く。】