第2193回 昭和の伝道師【戦中戦後のパイロットの物語】
2018年6月22日金曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
戦後の人達の創作話と現在は伝えられていますが、遺体を焼却されたと
されている閔妃が、実は生きていた、ロシアに亡命したとか、そういう説もあるの
です。
燃えていたとするお話しもあるのです。
その燃えていた女官の遺体は3名であったとされていて、大院君がこの死体を
仕方なく、焼却処分するよう命令し、「閔妃を殺害したと発表した。」とする説です。
以前紹介したように、 開化派が武力決起した時に、閔妃の女官が身代わりとなり、
かすように毒を飲んで死んだ忠義のお話しを紹介したのですが、 今回の乙未
事変も死んだとされているのは身代わりではないかーーと言う説です。
【 閔妃殺害を計画、実行して行った、義父の大院君 興宣】
しかし、いろんな説があるものの、皇后 閔妃は、1895年 明治28年10月
8日以後、朝鮮半島の歴史から表向き消えていったのは動かしがたい事実です。
皇后 閔妃を1番下の身分に格下げし、 次に大院君 興宣が行ったのは、自ら
が命じて行わせた 法務協弁 金 鶴羽殺害事件で、裁判で死刑判決を受け、
【 大院君 興宣の孫 永 宣君 】
させたそうです。
クーデターを起こし、政権を掌握、 そのわずか3ヶ月後、 朝鮮全権公使
三浦 梧郎 元陸軍中将らの支援を受けた、大院君 興宣が乙未事変で
政権を掌握しようとしていたそうですが、 これに待ったをかけた人物がいたの
です。
【 明日に続く。】