第2196回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第2195話 乙未事変当時の日本の世論のこと。
2018年6月25日月曜日の投稿です。
明治28年10月頃の日本の世論というのは、多いに不満を持つ日本軍、
特に軍人の不満がたまっていった、そういう時期であったと言われています。
原因は何かと言うと、伊藤内閣の外交的失敗で、占領していた日本陸軍の
占領地域がわずか3ヶ月程度で、戦争も行うことなく、無くなっていったのです。
海軍もそうであったのです。
冬場、山東半島の威海衛を攻めて、清国 北洋艦隊を陸軍の第2軍と挟み
撃ちにしたのですが、 ドイツ人に横取りされ、日本は、支配権を失っていった
のです。
陸軍では、極寒の大陸で戦闘行為を行い、寒い野外で野営して凍死者や
凍傷患者が多数発生し、その人達が帰国して、その後の生活の事など
多いに当時問題になっていたのです。
割譲し、朝鮮半島から撤退しーーー云々。」と、当時の政府は発表し、国民は
万歳三唱していたところに、 翌月には、山東半島はドイツにとられたとか、
遼東半島は、 ロシアにとられたとか、 そんなお話しが流れてくると、国民は
「 内閣は何をやっているのか。」と、怒っていったのです。
日本陸軍内でも、「 極寒の中、多くの戦友が凍え死にし、いったいあの戦争は、
何の為に戦争を行ったのか、 外務省は何をやっているのか、けしからん。」と
そう言う人が、 と言うより、 公言する人が増えていったのです。
「 日本陸軍は そのまま占領地を占領していれば良いではないか、 ロシア
だろうが、フランスだろうが、ドイツだろうが、恐れるに足りず。
攻めてきたら、一戦あるのみ。」 と、叫ぶ軍人や、日本人が増えていったのです。
よく経緯がわからなかったようです。
どうして、日本が戦争に勝って、占領して、 高宗という国王がそのままなのか、
どうして 閔妃が殺害されたのか、 大院君 興宣とは、いったい何者なのか
よくわからなかったようです。
【 当時の朝鮮全権公使 三浦 梧郎 元陸軍中将 】
しかしながら 外務省の職員でもなく、 軍人のそれも 元陸軍中将であった
朝鮮全権公使の三浦 梧郎 公使は、 軍人であるが故に、外務省の愚かな
やり方に多いに不満を持っていたと伝えられています。
【 明日に続く。】