第2197回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2196話 乙未事変 外務省政務局長 小村 壽太郎氏のこと。


                           2018年6月26日火曜日の投稿です。




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          【 当時の日本の首都であった広島市大本営 】




  1895年 明治28年10月当時の日本の政界は、外務大臣 陸奥 宗光

 氏が、現在で言う 肺結核という病気を発病し、血を吐いて、咳き込み、入院し、

 替わりに内閣総理大臣であった 伊藤 博文 公が 外務大臣を兼務していた

 と言い伝えられています。


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 「 おいっ どうなっとるんか、 何が何やらわからんのう。」 と叫び、広島大本営

では、朝鮮半島の出来事がよくわかっていなかったようです。

そこで、事件発生の翌日、 内閣総理大臣 伊藤 博文公が呼び出した人と言う

のは当時の 外務省 政務局長 小村 壽太郎 という人であったとされています。



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   よくご存じの人はお気づきかと思いますが、日露戦争講和条約をまとめて

  国民から非難を受けた、 そう言う人であったのです。


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           【 小村 壽太郎 外務省 政務局長 宮崎県出身 】




  伊藤 博文 内閣総理大臣は、小村 壽太郎 外務省 政務局長に対して

 事件の調査報告を命令し、 護衛部隊をつけて、朝鮮半島漢城へ派遣命令を

 出したとされています。

 時に、事件から2日後の明治28年10月10日 下関講和条約からわずか半年

 後の出来事でありました。


  【 明日に続く。】