第2200回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2199話 乙未事変 小村 壽太郎 朝鮮全権公使の任命のこと。


                       2018年6月29日金曜日の投稿です。





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 【 前話の続きより。】


   「 なんじゃーー、勝手に、王妃を殺害するとは許すわけにいかん。

  関係者を全員捕縛して、広島監獄に連行せい。」 と、命令を発令した

  当時の 内閣総理大臣 伊藤 博文 公の命令で、1895年、明治28年10月

  24日から26日にかけて 朝鮮半島の首都 漢城 こと 現在のソウルにて、

  当時の朝鮮全権公使 三浦 梧郎 元 陸軍中将 以下、朝鮮公使館の外務省

  の職員、 公使館周辺警備の警察官、 同 陸軍の将校、下士官漢城在住の

  日本人商民など48人が捕縛、 つまり逮捕されて、当時の大日本帝国の首都

  であった、広島市の 広島監獄に連行されることになっていったそうです。





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 当時の伊藤内閣としては、 ドイツ帝国や、アメリカ合衆国ロシア帝国、フランス

に対して、大日本帝国政府は、閔妃殺害事件こと乙未事変に関与しておらず、

そのことを国際社会にアピールするためにこういう行動に打って出たようです。


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   反面、 朝鮮に在住していた、日本人商民や、陸軍や海軍の軍人に批判を

  受ける行為でもあったようです。




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    そして 喜んだのは 大院君 興宣 であったとも言われています。

  どういうことかというと、 大院君 興宣 と言う人は、 日本軍をロシア軍の

  介入を防ぐ為に利用し、 三浦梧楼 朝鮮全権公使も これを利用して、ロシア

  公使館を牽制した訳ですが、 大院君 興宣 からすると、 彼は 日本人を

  利用するだけ利用して、 朝鮮半島から追い出し、 朝鮮人の政治に戻そうと

  考えていたので、 提携先の 三浦 梧郎 朝鮮全権公使が消えたのは、喜ば

  しい事であったようです。

  いずれ 消し去る必要がある人物が、 同じ 日本人によって 消された訳です

  から良い出来事であったようです。


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            【 三浦 梧郎 元 朝鮮全権公使 山口県 出身 】



 こうして明治28年の10月の月末、 朝鮮全権公使だった 三浦 梧郎 元陸軍

中将は、在任わずか1ヶ月半程度で解任され、 大朝鮮国の首都 漢城を去ること

になっていったのです。

そして、 漢城の中の、日本人の自治組織も崩壊していったとされています。



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   内閣総理大臣 伊藤 博文 公は、 替わりの朝鮮全権公使に、小村 壽太郎

 外務省 政務局長をあてる人事を発令し、内閣の全権として、長州閥で、先の

 内務大臣であり、 元朝特命全権公使であった、 井上 馨 公を派遣する事を

 決定したとされています。


    【 明日に続く。】