第2202回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2201話 乙未事変 ロシア軍の漢城入城のこと。


                       2018年7月1日日曜日の投稿です。




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             【 大朝鮮国の首都 漢城 こと 現在のソウル 】



【 前話の続きより。】



    1895年 明治28年10月7日に 乙未事変 と呼ばれる 訓練大隊の

  2個大隊が決起して、王宮を占拠し、 国王 高宗を監禁し、 後宮閔妃

  殺害するという事件が発生した後、 失脚していた 大院君 興宣が再び

  政治の実権を得たかのように思えたのですが、 彼は、自らの手先として

  改革派の日本よりの人物 金 鶴羽 法務協弁を殺害し、 死刑判決の後、

  遠島に処せられていた永宣君を脱出させ、 そして 国王 高宗を廃位させ、

  自分に都合の良い新しい国王を擁立しようとしていたとされています。




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           【 乙未事変の首謀者とされている 大院君 興宣 】


  この動きに待ったをかけたのは、大日本帝国内閣総理大臣 伊藤 博文 公

 でありました。

  それは何故か、 いろんな諸説があるのですが、有力な説は、当時 ロシア軍が

 漢城に増強され大砲などをロシア公使館周辺に配備し、軍事介入の準備を行い、

 国王 高宗を奪い返して、親露政権を作ろうとしているとの情報に接したからと言

 われています。



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                       【 国王 高宗 】


 それ故に、 新しく朝鮮全権公使に任命した 小村 壽太郎公使に、監禁されて

いた国王 高宗を開放し、 占拠していた 訓練大隊を解散させ、 首謀者を捕らえ、

西洋諸国が納得するよう 公正を装った裁判を行い、事件関係者を朝鮮王朝自身で

処分させ、 ロシアが軍事介入する口実を与えないようにするよう命令したと言われ

ています。

このような事、 大院君 興宣に申し入れをしても彼が聞くわけが無く、大変な難題

を小村 壽太郎公使は行う事になっていったと言われています。 


【明日に続く。】