第2207回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2206話 乙未事変 捨てられていった朝鮮人訓練大隊のこと。


                          2018年7月7日土曜日の投稿です。




 
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          【 玄洋社による 李 周會 氏らの供養の風景 】



   【 前話の続きより。】



    ところで、 時は流れて昭和の金融恐慌の後の昭和5年、福岡市の愛國

団体 玄洋社の当時の総裁 頭山 満 氏の呼びかけで、乙未事変で武力決起
 
を行った中心人物の 李 周會 氏ら3名の供養が行われたとされています。



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          【  犬養 毅 内閣総理大臣 と玄洋社の頭山 満 総裁 】



 玄洋社とは、以前紹介したのですが、 「 国家を磨く。」と、称して、福岡県を

中心とした 商工会の集まりのような団体から、豊富な資金で 政財界に太い

パイプを作り、 犬養 毅 内閣総理大臣の後楯で、陸軍や海軍の将官や佐官

にも影響力があり、大日本帝国の黒幕ともよぼれていた愛國団体で、当時の

代表者が 頭山 満 総裁であったのです。


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                    【 中央が 頭山 満 総裁 】


   昭和5年 福岡市の玄洋社の総裁 頭山 満 氏の呼びかけで、李 周會氏

 らの墓碑建設資金の寄付が呼びかけられ、 元 朝鮮公使 三浦 梧郎 陸軍

 中将の子息で子爵であった、 三浦 松二郎氏、そして漢城新報社の主催者 

 の安達 謙蔵 氏らが出席して11月に墓碑を建設し、盛大な供養が行われた

 のです。



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  【 乙未事変当時、 熊本県出身の民兵組織を統帥していた 安達 謙蔵氏】







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   前 軍部協弁  李 周會 氏らは乙未事変で武力決起し、 ロシア帝国

 通じて 朝鮮半島ロシア帝国に売り渡そうとしていた 閔妃と閔氏らの事大党

 を打ち破ったその功績は、 朝鮮半島共産主義化を防ぎ、 烈士の業績で

 あると称えられたとされています。

  では、どうして 彼らは 武力決起に成功し、王宮を占拠し、 大院君 興宣を

 担ぎ出し、政権を奪取し、国王 高宗を 後宮に監禁し、国家の近代化を進めよ

 うとしたとされていますが、 殺されていったのか、 次のお話しから 検証して

 見たいと思います。


  【 明日に続く。】