第3267回 被災翌日営業再開の(株)山陽マルナカの防災への取り組み。模型公園

みなさん おはようございます。 2018年7月15日 日曜日の投稿です。






イメージ 1



【 前話の続きより。】 


  2018年 7月8日の日曜日の 朝、 少し水が引いたので、模型公園は家が

心配になったので、家の近くに戻って見たのです。

まだ、ずいぶん泥水が残っていたのでした。


イメージ 2



  この写真を撮影した場所の家の奥さんに、「ねぇねぇ、わるいんじゃけどねぇ。」

 と、声を掛けて、 目の前でジーパンを脱いで、「 預かっといてもらえんかね。」

 と依頼して、 パンツ1丁になって泥水に入って行ったのです。

 不思議なことに、冬の水のように 冷たかったです。


イメージ 3




  どうせ、みんな 避難して カメラなどで撮影していないので、 外観のみ

撮影して歩きました。

 後に、水害保険の申請をするのに必要になるのではと思ったのでした。


イメージ 4




 この写真は、翌日のさらに水が引いた時の写真です。

 ドブの腐ったような ヘンな匂いが充満していました。


イメージ 5



     床のフローリングは、ふやけて めくれ上がっていたのでした。


イメージ 6



  粘度のような、臭いヘドロのような泥が 家の中全体に広がっていました。


イメージ 7




      家の中は すべてが臭いヘドロで ぐじゃぐじゃになっていました。


イメージ 8


模型公園の ジオラマなども 大きく被災していたのでした。



イメージ 9




    2日後の月曜日の段階で、 家の地盤高から、わずか40センチ下に

   泥水がありました。


イメージ 10




     模型公園の秘密の野外作業場も、泥水の直撃を受けて、

     陶器の机はひっくり返り、 椅子は 流されて無くなっていました。


イメージ 16





イメージ 11




  この上の写真が、川の堤防の決壊現場の東側からの撮影です。

  中央、白い 水の流れが見えますが、僕の家のちょうど西側で、ここから

  濁流が津波のように押しよせたようです。


イメージ 12
 


     上の画面は、ずいぶん水位が下がったときに、水の中からの撮影

     ですが、左のアパートのバイク置き場のバイクは、全部エンジンが

     ダメになり、 駐車場の車も 水没して、エンジンがかからなくなっていた

     そうです。
    

イメージ 13




  今まで 神社では気が張っていたので、そうでもなかったのですが、家に戻ると

  心が折れて、悲しくなってきました。

  生きるのが辛くなった時、僕は 昭和20年 特別攻撃隊の隊員の人の

  遺書の写しを読む事にしています。

  「 お父さん、お母さん、いよいよ明日 自分が出陣と決まりました。

   今まで、育てていただきまして ありがとうございました。

   良くやってくれたと、喜んでもらえるよう、 1人でも、2人でもまき添えにして

   ーーーーーーーー云々。」 



  遺書を読んだ後、 思い直して、拭いても 拭いても なかなか取れないヘドロ

を雑巾がけしていきました。


イメージ 14



   ところで 被災した翌日の8日の日曜日、 大手スーパーや、銀行、郵便局

その他 チェーンレストランのほぼすべてが臨時休業する中、 (株) 山陽マルナカ

は、災害復旧を行いながら平行して、営業を再開していました。

これらの行為は、 被災者に 買いだめなどの抑止となり、多くの人に、「心配しない

でもいつでも買いに行けば商品が手に入る。」と、安心感を与え、 みんなが買い物

に訪れました。

そして日頃の防災訓練の錬成の訓練成果を発揮して、食事の用意が出来ない

人達には、おそうざい、焼きたてパン、弁当などを切れることなく 日頃訓練して

整えた防災組織をフル回転させて売り場に商品を品出して行ったのです。

焼きたてパンのコーナーに行って、 「 被災、翌日には 営業開始、やるなー。」

と声をかけると、 店員のご婦人が「 うちらーも がんばりょうるんじゃん。」

という顔つきでニコニコされていました。


イメージ 15


この人も、水没した家を放置して、 ここで自分の義務を全うしようとしている

と模型公園は悟り、 家に戻って また、頑張ることにしたのでした。

今日も日曜日ですが、気温の低い 夜明けの5時くらいから、抜刀隊の音楽を

聞きながら朝ご飯を食べて、近所の汚泥除去の作業開始を予定しています。




【 明日に続く。】 【 転載 コピー自由 】