第3279回 岡山市平成30年7月豪雨水害 避難放送を考察する。模型公園

みなさん おはようございます 模型公園です。


                    2018年7月26日木曜日の投稿です。





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 【 平成30年7月7日土曜日 深夜撮影 池田家 西側 西から波が打ち寄せた。】



【前話の続きより。】


  本日のお話しは、岡山県岡山市の平成30年7月7日の豪雨水害での

 出来事を検証するお話しの5回目です。

 崖崩れにしても、火災にしても、水害にしても、 その予兆と、原因がある

 わけで、それを調べて、未来の出来事に生かして行くことが肝要です。



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    僕は深夜の2時頃、自宅を放棄して逃走したわけです。

   思いついたのが、 みんなが避難してくる車の駐車スペースを確保しな

   ければならないとの考えが沸いてきて、 上の画像の2時10分頃、自宅から

   500メートル程度離れた丘の上の北居都神社【きたこずじんじゃ】の入り口の

   チェーンを、大雨の中、 支柱ごと抜いて、 左側に寄せて、車が入れるように

   作業を行いました。


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     ここを開放すれば、20台程度、 山道を利用すれば さらに20台程度、

     合計40台程度、駐車できると当時思いついたのです。

     その作業の後、 また 自宅のある方向に大雨の中戻り、いろんな人と

     出会うわけですが、 その後、朝の薄明かりの中、また、丘の上の神社に

      立ち戻ったのです。

      多くの人が避難していました。

      それらの人が訴えたのが、次の様な言葉でした。


      「 もうちょっと はように どうして 教えてくれんかったんか。」と、

      
      口々に訴えられ、語られたのを覚えています。



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      【 浸水状況  高橋家前の状況 平成30年7月7日 19時頃撮影】




    実は、神社に避難できた人はまだよかったのです。

   車が水没して ダメにならなかったからです。

   上の写真、 寝ていて気がつかずに、目が冷めて見たら、マイカーが

   水没していた、 水が引いた後、 エンジンがかからなくなっていた、

   車両保険に入っている人はよかったのですが、 入っていなかった人は

   ローンガ残って、 車がダメになって行ったのです。

   これらは バイク置き場も同様であったのです。

   これらの被災者は、「 どうして、もう少し早く、教えてくれなかったのか。」

   と、 顔を見る度に、 訴えたのです。

   消防署や、町内会が、防災放送をする事になっていたようですが、災害発生

   当日の深夜、 どうであったのか、本日検証して紹介したいと思います。



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    【  上の画面の草があるところぐらいまで 泥水があった。】


  7月7日の夜中の2時頃、 僕は 上の写真より、水位が60センチ程度

高い状態を、暗闇の中、懐中電灯を照らして発見し、 避難を決断したと

前話で紹介しました。

  本心を言うと、 怖かったのです。

 映画、日本沈没のワンシーンで、家が地面事沈下して、 雨戸を開けて、

 老人が、目を大きく開けて驚くシーンがありますが、 それによく似ていました。 






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   これらの異常な水位の上昇に気がついた人は、そのほとんどが、

  西側の水田の近くに住む、隣接した民家の複数の人達でありました。

  みんな、窓から見たり、西側を見て 気がついた時間というのは、聞いて

  歩いて見ると、 早い人で、午前1時45分程度から、遅い人では気が

  つかなかった人もいらっしゃったようです。

  南古都団地【みなみこずだんち】の 丸本さんと、池田さんの証言のように

  近所から電話が激しく夜中に鳴り響き、 電話に出ると、浸水を警告する

  内容で、見ると玄関が既に水没し、靴がプカプカ浮いていたそうですが、

  この時間が 午前2時前後であったそうです。 

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    大雨の中、 誰かが、西側の道路を車でクラクションをわざと鳴らしな

   がら走ったのが、午前1時50分程度であったと記憶しています。

   そして、 防災放送が、正確な時間は不明ながら、午前2時頃、3回

   呼びかけが、 年配の男性の声で行われたことを記憶しています。

   「 みなさん 砂川の堤防が決壊しました。 避難してください、繰り返します。

   ーーーーー云々。」  ところが、 これを最後に 放送は行われなくなった

   のです。

   ちょうど 午前2時30分頃、 消防車が1台、 それも消防団の消防車で

   それも乗員が1名で、 現地に到着しました。

   マイクで、呼びかけを行ってもらいましたが、 焼け石に水でした。

   どんどん水位が上昇して、 避難してもらいたい地区に入れなくなっていった

   のです。 



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    以上が、当日の僕の記憶です。

   ずぅーーと、防災放送でサイレンを鳴らしたり、 呼びかけたり、

   そして、堤防が決壊したのが 午前1時30分と仮定すると、15分後の
  
   1時45分程度から、 みんなが避難できていたら、 水害によるマイカーの

   被害も少なかったのではと思います。

   では、 続きの防災放送がどうして出来なかったのかについて、聞いて見

   ました。



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  1番はじめに水没することになって行った 南古都団地の丸本さんと、池田さん

  の貴重な証言では、固定電話がつながらなくなり、 電気が停電したそうです。

  午前2時前後の出来事だったそうです。 




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   つまり 浸水で 停電して、電源が喪失して 暗闇になって行ったそうです。

   この団地の防災放送の施設のマイクがどこにあるのか聞いて見たところ

   なんと、1番に水没する場所に設置されていました。



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 【 1番に水没した場所に設置された 防災スピーカー設置場所  中央 】


    町内会のAさんは、暗闇の増水する中、 みんなに知らせようと

    命をかけて、 初めの避難を呼びかける放送を行った、しかし、電気製品

    の放送施設は、電源喪失で使用出来なくなっていった。

    そして、 呼びかけていた人も、どんどん泥水が増水してきたので

    生命の危険を感じ、 避難したと推測されます。

    出来事の発生時間帯は、午前2時から 午前2時15分程度の出来事で

    あったようです。

    以後、この施設で放送されることは無かったと記憶しています。



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   突如として発生した、堤防崩壊による大規模な水害で、みんな寝ていた

  深夜の出来事で、 気がついた人は 団地の西側の水田の近くの数名の

  住民のみであった。

  これらの人は、電話をかけたり、 近所の窓を叩いたりして、周囲に知らせて

  老人を 隣の家の2階に避難させたり、 自分のマイカーを動かしたりするの

  に精一杯であったと記憶しています。

  団地 中央部、南部、東部、北部の寝ていた人達に、緊急を告げる方法は

  今後、 どうあるべきであったのか、僕は考えようと思ったのでした。



  【 明日に続く 】 【 転載、コピー自由】