第3280回 岡山市平成30年7月豪雨水害 避難所に避難できなかった被災者を考察する。模型公園

みなさんおはようございます。 模型公園です。


                       2018年7月27日金曜日の投稿です。




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           【平成30年7月7日 土曜日 19時頃撮影 】



【 前話の続きより。】



  平成30年7月7日 土曜日 深夜の1時30分に発生した、岡山市平成30年

 7月豪雨水害を考察する。 今日は6回目のお話しです。



 崖崩れにしても、 水害にしても、 火災にしても、予兆と原因があるわけで

 振り返って見て、 その予兆と原因を確認して、 未来に生かして行くことが

 肝要です。

 本日のお話しは、岡山市の指定の避難所に行こうとしたが 行けなかった人達

 の証言について考察してみたいと思います。




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  【 平成30年7月7日土曜日撮影  パナソニック工場付近浸水状況撮影 】





   記憶によると、 そうーーまだ暗い頃、 つまり周囲が夜でまだ

 見えなかった頃、 神社に避難されて来た 夫婦だったと思いますが、

 「 おぃ、岡山市の避難所に行こうとしたら、 道路が水没していて 行け

 なかった どうにも ならんのう。」 と、 こういうお話しがあって、周囲の

 人が、「道路はどんな状態じゃったんじゃ。」 と、その人に問うと、「 道路

 は腰くらいまで 水があってーー、 ローソンは天井程度まで、泥水に沈ん

 でいたわ。」 と こんな お話しであったと思います。




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              【 ローソン 南古都店 みなみこずてん 】




   ローソンというのは、前話で紹介した 南古都団地の西にある

 丸本さんや、池田さんの家の南側 約200メートル程度にあるローソンの

 ことであると思われます。

 周囲の人は このお話しを聞いて、「 ほうーーー、ローソンが水没したんか。」

 と、驚いた顔をして、みんなが聞いていたのを記憶しています。




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            【  ローソン南古都店から 東を撮影する。】
 


  多くの人が車に乗って、夜中に「 はょうせい。」 と家族をどやしながら

 避難しようとした 岡山市指定の避難所の平島小学校は、当時、どうなってい

 たのかわからなかったのですが、 災害当日の11時頃、到着した岡山県警

 ダイビングスーツを着た数人の警察官の証言で 水没して 使用出来なくなって

 いたことを 一同聞くことになって行ったのです。


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         【山陽マルナカ 平島店に孤立していった駐車場の避難者】

         【 平成30年7月7日 土曜日 深夜撮影】


  一旦、 岡山市の指定の避難所の平島小学校をめざした人達は、道路が

 水没していたので、 県道沿いの山陽マルナカ 平島店の駐車場に逃げ込

 んだそうですが、ここの周囲がどんどん水位が上昇して 動けなくなっていった

 そうです。

 ピタットハウスのある 北側から駐車場が泥水に浸かっていき、気が気でなかっ

 たそうです。

  「 本当に、やばい と思った。」 と 証言されていました。





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                        【岡山市防災マップ】


    今回の水害で、地域周辺全体が水没し、 岡山市指定の避難所が

   浸水して使い物にならず、 そこをめざしていた人達は、途中で孤立して

   行ったという事実は大変興味深い証言でした。

   岡山県警の警察官に、Aさんが、「 市役所だきゃーー、何 考えとるんか

   のうーー、水没するような場所の小学校をどうして 避難所に指定するん

   かのうやっ、だめじゃのうーー。」 と、語られていたのが記憶に残っています。





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           【 浸水していたとされる 平島小学校付近 】



    県道37号線が水路のように浸水し、どんどん周囲の民家が浸水

  して行ったこの事実を考察すると、 岡山市役所の避難所の設定は、

  地震を中心に考えて指定されていたとしか思えないのです。

  僕は、 地盤高、 つまり エレメーションが低い場所にある土地と建物を

  小学校というだけで、 すんなり水害の発生したその後を想定せずに、

  避難所に指定した岡山市の当時の担当者にどう言う考えであったのか、

  聞いて見たいと思ったのですが、次の台風災害が予想される今、 急いで

  次の災害に備えて水没しない地盤高の高い場所で、避難所で使用出来る

  場所を考え直さなければならないと考えるようになっていったのです。   


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    夜が明けて、明るくなったので、北居都神社の北方向を偵察に出かけて

   撮影した 上の写真は、パナソニックの工場の南側の民家の写真ですが、

   おおよそ この家の地盤から 70センチから80センチの浸水と予想し、

   ここより さらに地盤が低い、平島小学校は、1メートル近い、もしかすると

   もっと浸水していたのかも知れないと、当時考えたのです。

   瀬戸内海は、正午頃が満潮の時間帯で、今後、潮の上昇によるさらなる

   増水が予想され、 2階に避難している人への朝食、昼食の補給、平屋の

   取り残されている人達の救助を急いで行う必要があると感じたのです。

   現地の夜明けが当時、5時30分程度、 残されている時間は約4時間程度

   周囲の泥水の状態から、1600世帯の内、1000件程度は浸水していると

   思い至り、 岡山県知事に、防衛省への速やかな支援要請が必要と考え

   至った事を記憶しています。   


【 明日に続く。】 【転載、コピー自由】