第3284回 行政の予算を使わない地域の防災対策について。模型公園

みなさん おはようございます。 模型公園です。


                        2018年7月30日月曜日の投稿です。



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   【 前話の続きより。】



  行政の予算を使用して地域防災を進めていくと、大変良いと思うのですが、

どこの地方自治体も予算に限りがあり、 国民も自分から出来る事から、身近

な周囲から、みんなで少しずつ防災に取り組んでいくと良いのではないかと

考えています。

 今日は、 その第1回目の 行政の予算を使用しない防災活動についての

お話しです。



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    【 岡山市 平成30年7月豪雨水害 南古都団地 7月9日撮影 】




  僕は、水害が発生して 数日して水が徐々に減少していったことを見極めて

 危険が減少したと判断した場所で、短い人で30秒程度、 長い人で3分程度

 泥水の中、 聞いて歩いたのです。

 みなさん、突如水害に被災し、心に余裕が無い時なので、ご迷惑にならないよ

 うに顔色を見て、 短い時間で聞いて歩いたのです。

 「 いつ頃、増水に気がつかれましたか。」 「 どのくらいまで浸水しましたか。」

 「 なにが1番困りましたか。」 とか、 そんな感じで聞いたことをメモして歩いた

 のです。

 例えば、「 気がついたら、台所の冷蔵庫が ぷかぷか 浮いていてのう。」とか、

 「ペットを一緒に連れて避難しようとしたら、なかなか捕まらず困った。」 とか-。
 

  後に、 これが未来に非常に役に立つと信じての行動であったのです。




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     【 岡山市平成30年7月豪雨水害の水田の浸水状況 7月8日撮影 】





   今日のお話は無料で始める防災対策の1つとして、



           「被災した体験談を聞いて、未来に生かして行く。」 


  と言うお話しです。


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  僕がこういう事を始めたきっかけは、兵庫県の西宮市の一般の女性から

 今から22年前の1月17日に発生した 阪神淡路大震災の被災したお話しを

 直接聞いてからでした。

 その後、 神戸市の一般の女性や、 西宮市の建設会社の男性の人からも

 お話しを教えていただきました。


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   大正12年の関東大震災でも同様の証言があるのですが、2階建ての家が

  1階になって行ったーーーー。

  1階で寝ていた人は、生き埋めとなって行き、 2階で寝ていた人は玄関が

  潰れて、 靴が取り出せず、寒い冷たい道路をはだしで逃げ出すことになって

  行った。


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  そのような事情で、多くの人が足の裏をケガしていったそうです。

1階で閉じ込められた人は、 苦しまずに死ねた人はよかったのですが、生きて

 いた人は、もがきながら助けを求めていったが、そのまま取り残されていった。

 どこからか、火災が発生し、 どんどん火が回ってきた。


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  消防車が1台やっと 現地に到着したが消火活動が出来なかった。

 「 おまえ なに しとるんや。」 と、 怒鳴ると、 「 水、 水が でぇへんのんや。」

 と、こんなやり取りがあったそうです。

 閉じ込められた人達は、生きたまま悲鳴を上げながら焼け死んでいったのです。

 当時、 周辺の大阪市京都市などの人達はまったくこの出来事を知らなかった

 そうです。

 東京都の内閣府も知らなかった。

 NHKのテレビやラジオも、電話を神戸周辺にかけたがつながらなかった。

 唯一、つながったのは淡路島の民家だったようです。

 

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 それ故、事件当日は、淡路島の男性の電話での証言が報道される程度で

内閣府も、「 たいしたことなかったようだ。」 と、気にしていなかったようです。

現地の様子が口ずてに伝えられたのは 3日後程度からで、 内閣府が被災者

救助に動き出したのは4日後であったそうです。

地域全体が1度に壊滅し、市役所も、消防署も、警察署もすべてが崩壊した。

救助要請を行う事も出来なかったのです。



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  この空白の3日間に救えるはずの人達が瓦礫に閉じ込められ亡くなっていった。

 死んでいった 悲鳴を上げながら亡くなっていった 物を言う事が出来ない人達の

 為にも、被災した教訓話を自分達は勉強して、 未来に生かして行かなければなら

 ないと僕は当時思っていたのです。

 地域の行政機関が一斉に消滅した為に、罹災証明書の発行などが遅れていった。

 損害保険会社もすごい数の損害保険金を1度に支払えなかったのです。

 それ故、 何某かの理由をつけて 支払いを延ばしていった。

 その理由の多くが、 被災した当日の写真が無いとか、それを証明するものが

 ないとか、 あれや、これや 理由をつけて1年近く保険金の支払いを延ばして

 いった。

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 こういう事が重なって、 被災者が 人、財産を失い、 さらに保険金を受け取る

事が出来ず、 どんどん追い詰められていき、 そして 自殺する人達が多く発生

していった事実を知り、 「 もう あかん。」 と追い詰められて 亡くなっていった

人達の為にも、 こういう事が繰り返されないように 微力ながら、そういう取り組み

を行って行きたいと思い至ったのです。


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 生命の危険がないと自分で判断して、見知らぬ家の奥さんに、「すいません、

僕のズボン預かってください。」と、 財布などもすべてを預けて、泥水の中に

入って行こうとした時、彼女にはどうして写真を撮影するのか意味がわからな

かったようです。

  理解に苦しむおばちゃんに、「 この写真が、1週間、2週間したら、みんなの

 損害保険の申請や、罹災証明書に添付する写真になって行くのです。

 全体で、そうーー数百万円、 もしかしたら もっと お金になる基になるかも

 しれません。」 と、 年上の女性に生意気な言葉をかけたのですが、こういう

 知識を地域全体で学習することは、 費用がかからないわけです。


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  地震の体験談、 津波の体験談、水害の体験談、崖崩れの体験談を

 実際、被災した人から直接聞く事は、 お金はかからないわけです。

 時間が短くて良いので、 その人から実際、困った事を聞いていく、

 それがお金のお話しであったり、 トイレのお話しであったり、 いろいろ

 です。

 僕が トイレットペーパーを避難する時、持って逃げましょうと言うのは、

 神戸の奥さんから、「 仮設トイレはあったけど、 トイレットペーパーがなく

 て、とっても こまったんや。」 と、 こんな苦労話を聞いていたからです。

 今日は、自ら扉を叩いて、 過去の被災者の苦労話を聞いて、未来に生かす

 こういうお話しでした。

 みなさんも この文章を読んで、 よかったら 始めて見てください。

 きっと、 いつか、 不意に夜中に災害に巻き込まれた時、頭の隅に被災の

 苦労話が残っていたら、きっと応用して役に立つ時があると思います。


 【 明日に続く。】【 転載、コピー自由】