第3287回 行政の予算を使用しない防災対策 その4 模型公園

みなさん おはようございます、模型公園です。


                       2018年8月2日木曜日の投稿です。





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        【 道路が 水路になって どんどん水没していった住宅街 】



  【 前話の続きより。】



  今日のお話は、行政機関の予算を極力使用せずに、国民1人1人が

行動することによって、自主的な防災活動を行って自分達の身を災害から

素早く守れないであろうかというお話しの第4回目です。

平成30年 岡山市7月豪雨水害 と呼ばれる深夜に起きた水害を検証し、

自分達の行動を振り返って見て、いたらぬ部分を検証し、未来に役立てて

行く、こういう事が肝要です。



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  【 道路、農業用用水路を水路にしてどんどん水位が上昇していった。】





 この度の水害では、岡山市東区の平島の約1600世帯の内、 約1000世帯

が水害の被害を受け、ひどい家では、自家用車が3台ダメになったとか、いろんな

浸水による被害が相次いだようです。

おおよそ、1000台以上がエンジンが浸水でかからなくなり、車屋も浸水して

被災した上に、 台車が無い状態が現在も続いているそうです。

それ故、


  「 どうして、もうちょっと はように 教えてくれんかったんか。」 と、


みなさん、顔を見る度に申し立てられるわけです。



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【半径2キロを基準に周囲の各町内会が連携して災害情報を共有すべきである。】




前話で紹介したように、地域の町内会とその下部の組織の連携と情報の

やり取りで素早く災害の情報を共有して 住民に対して素早い警報を発令し、

逃げる方向だけでも、住民に催告、告知出来ないであろうか、そんなお話しを

紹介したのですが、 平成30年岡山市7月豪雨水害のように深夜発生した場合、

そのほとんどの人が眠り込んでいたわけで、これらの人にどう災害情報を

伝達していくのか大きな問題であると考えます。



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  現在、岡山市東区の被災地には防災放送の小さな施設があるのですが、

 これが、「聞こえにくい。」とか、「 外に出で、耳をそばだてないと聞こえない。」

 とか、こういう意見があるのも事実です。

 そして水害発生当日、これらの放送がよく機能していなかったのも事実です。

 南古都団地と、平島団地の2箇所の防災放送施設が水没していったということも

 大きな問題であると思われます。

 どんなに早く 災害情報を入手しても、 当事者に素早く伝達できないと意味が

 無いわけです。

 災害電子メールなども送信しても、寝ていて気がつかなければ意味が無いわけ

 です。

 その対策として、各家に防災スピーカーを設置するのがよいと思われますが、

 平島だけで約1600世帯、 市民平等の観点から岡山市に一斉に整備すると

 なると多額の予算がかかる事になっていきます。


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  そこで、行政の予算を使わずに、自分達で何とか出来ないであろうかと

 考えて見たのです。

 そこで思い浮かんだのが1940年7月頃の戦時中のお話しであったのです。



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  1940年7月 ドイツのヒットラー政権は、イギリスに対して空爆を開始し、

数の少ないイギリス空軍は 工夫して防衛するしかなかった。

大量のドイツ空軍機を わずかな飛行中隊で防空することになっていったのです。


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         【イギリス駐在海軍武官附 海軍少佐 故 源田 實 先生】 





 昭和15年、 現地でこれらの空戦を視察することになった 参議院議員

故 源田 實 先生の生前のお話しでは、当時の最新鋭の電波探知機ことレーダー

を活用して相手の動きをつかんで、数の少ないイギリス空軍の戦闘機を効果的に

使用して戦闘行為を行った。

 そして、多いに注目したのが 3機一体の分隊防空であったそうです。

 

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  つまり 1機、1機、 単独で空中戦を行うのでなく、 3機が連携して攻撃、

 防御、援護、支援を行う戦術であったそうです。

 3人が一体となって戦闘行為を行う戦術は、古くから日本にもあって、有名な




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ところでは、元禄時代赤穂浪士の吉良屋敷討ち入りでも 山鹿流兵法の

応用で3人の分隊が組織され、3人で相手の1人を攻撃する こういうことが

知られています。

 これらの戦訓は、愛媛県松山市に本陣を置いて、襲来するアメリカ機動部隊の

艦載機を迎え撃つことになっていった、 第343航空隊の戦闘に模倣されていく

事になっていくのですが、 今日は戦争のお話しではなく、これらの過去の出来事を

応用して、 町内会の中の組織に3軒をまとめて 分隊を組織して、 これらの組織を

基本ユニットにして、熟睡している住民に対して、非常時に避難を呼びかけていこうと

いうそう言う考えが思い浮かんできたのです。




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 つまり、素早い災害情報を町内会長が、よその隣接する町内から得ても

1人で対応していたのでは時間がかかりすぎるわけです。

 町内の下部組織の組や、班の責任者が1人で10軒ほど連絡していたのでは

時間がかかりすぎるのです。

そして、土砂降りの大雨の中、1人に負担が大きすぎると思い至ったのです。



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         【 参議院議員 故 源田 實 先生  元航空幕僚長 】



回覧板や、チラシを配布するのはそれでよいのかもしれませんが、非常事態の

場合、 1分でも早く避難する必要がある場合、3軒を1個単位の分隊と考えた

上で、左右両隣のおとなり同士で連携して避難や支援を行っていくことが1番

現実的ではないか、 早く伝達でき、 対応が早いのではないかと、参議院議員

の故 源田 實 先生の生前のお話しが思い浮かんだのです。



【 明日に続く。】【 コピー転載自由。】