第2208回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第2207話 見捨てられていった朝鮮訓練大隊のこと。


                       2018年8月9日木曜日の投稿です。




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      【 大朝鮮国の首都 漢城 こと 現在のソウルの当時の風景 】



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          【 犬養 毅 総理大臣と 玄洋社の頭山 満 総裁 】




  昭和の内閣総理大臣 犬養 毅 衆議院議員の強力な協力者で、福岡県の

 財界の実力者であった 愛國団体 玄洋社の頭山 満 総裁らが、昭和の金融

 恐慌の翌年に、朝鮮に墓碑を建設した 李 周會 烈士達の最後というのはよく

 知られていないのが現状です。



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  大朝鮮国 軍務協弁 と言う役職は、我が国の現在で言うと 防衛省の事務

次官に相当する役職でありました。

 岡本 柳之助 元陸軍少佐の指導していた 朝鮮人訓練大隊2個大隊が決起し、

 朝鮮国王が暮らしていた王宮を占拠し、一時は政権を掌握していたと思われて

 いたのです。



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              【 外務省政務局長 小村 壽太郎 氏 】


 ところが、 内地から 外務省の政務局長であった 小村 壽太郎 という人が

陸軍の護衛付きで 漢城にやってきて、 当時の 朝鮮全権公使であった 三浦

梧郎 元陸軍中将などを、「 内閣総理大臣 伊藤 博文公の命令である。」と申立

て、捕縛、 つまり 現在風に言うと 次々と逮捕していったのです。

つまり、現在で例えれば、ソウル駐在の外務省の韓国大使や一等書記官など

全員 逮捕して 牢屋に入れるような、そんな行為になって行ったのです。



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  当時の アメリカ合衆国ロシア帝国などなどの漢城在住の外交官達も 

続々自衛の為と称して、軍隊や武器弾薬を公使館に運び込み、 国王 高宗の

支持を公式に表明し、 大日本帝国の伊藤内閣も同調したため、あっという間に

潮目が変化して、 決起部隊は空中分解していったそうです。



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  そして、朝鮮人訓練大隊の兵士達は、「命令に従っただけでーー。」と申立て、

 大隊の幹部を自ら拘束して、国王側 こと ロシア帝国よりの朝鮮人達に差し出

 したのです。

 こうして、1895年 明治28年10月8日に発生した 乙未事変 と言う武力決起

 は国王の 高宗の妃の閔妃を殺害し、数日後に空中分解していったのです。

 当時の 内閣総理大臣 伊藤 博文 公は、朝鮮の首都 漢城でさらなる外国

 との戦争を回避する為に、 李 周會 氏らの決起を否定し、 大日本帝国

 この事件に関与を否定する公式発表を行い、朝鮮に対して、内政干渉は行わ

 ないとの従来の立場を繰り返し表明していたようです。


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    こうして、 決起した 軍務協弁 李 周會 氏らが朝鮮人によって裁判に

  かけられることになっていったそうです。

  いったい どんな裁判が当時 大朝鮮国の首都漢城で行われたのでしょうか。


【 明日に続く。】