第2209回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第2208話 乙未事変 李 周會氏の裁判のこと。
2018年8月10日金曜日の投稿です。
【 当時の 漢城の日本公使館の様子。】
【 前話の続きより。】
1895年 明治28年10月8日に発生した 乙未事変 と呼ばれる武力決起
事件で首謀者の1人として逮捕された 前 軍務協弁 李 周會 氏の裁判は、
当時の 大朝鮮国の首都 漢城 こと、 現在のソウルで行われたとあります。
当時の様子として伝わっているのは、閔妃 殺害の首謀者として 日本政府に
捕縛された 朝鮮日本公使館 全権公使 三浦 梧郎 元陸軍中将ら複数が
伊藤博文内閣の外交方針に反発して、暴走して、大朝鮮国を武力で乗っ取って、
李 王制を倒して、 大朝鮮国を大日本帝国の属国にしようと計画し、事件が発生
していったという筋書きで取り調べが行われたとされています。
当時の裁判というのは現在の裁判と違って、 取り調べと平行して行う裁判であった
出て来るような、御白洲のような感じであったようです。
言い伝えによると 元 軍務協弁 李 周會 氏は、「 事件の首謀者は、日本
公使館の 朝鮮公使 三浦 梧郎らであろう。」 との問いかけに、それを否定し、
「自らが首謀者で、日本公使らは事件には関与はしていない。」と、繰り返し申立
てたとあります。
当時の外務省 外務次官であった 原 敬 氏 【後の内閣総理大臣】への報告書
実行され、日本人は部分的に関与したが、事件への関与は薄かった。」と言う
結末の筋書きで無理矢理終わらせていったようです。
無理矢理終わらせていったのは、 日本から派遣されて漢城に入って陣頭指揮
していた、 井上 馨 公と、 その配下の 小村 壽太郎 氏であったとされていて
本当に、李 周會氏が 「 すべて 自分が計画して、すべてを実行して行った。」と
申立てたのが本当なのか証拠は伝わっていません。
明治28年10月19日 つまり 事件から11日後、 33人が裁判という形だけの
御白洲での取り調べを受けて 3名が死刑判決を受け、4人が身分を剥奪され終身
の流刑に、 その他は身分を剥奪され、懲役刑となり、 死刑囚3名の親族は連座制
によって 親族みな 謀叛の疑いで即刻 処刑されたと記録にあります。
【 昭和に入ってからの李 周會氏ら3名の死刑囚の葬儀 】
福岡県の愛國団体 玄洋社の 頭山 満 総裁は、すべてのことを 自分が
計画し、そして実行し、 他の人は罪が無いと申立て、死んでいった李 周會氏
捨てて 阻止したその功績を昭和に入って多いに評価し、宣撫を行い、名誉を
回復することに傾注したとされています。
【 明日に続く。】