第2210回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第2209話 乙未事変 事大党の陰謀のこと。
2018年8月11日土曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
大日本帝国の 伊藤 博文内閣の方針は、清国との戦争で国力が疲弊した
現在、 新たな戦争は避けなければならないとの方針であったそうで、ロシア帝国
され、予備兵力の近衛師団も台湾に派遣して、疫病などで 師団長、連隊長クラス
が次々と病死し、大きく戦力が定数を当時下回っていたのです。
決起事件は、日本政府は関与しておらず、知らない間に発生した 朝鮮人による
反乱事件として無理矢理処理しようとしていたようです。
つまり、ロシア帝国に軍事介入の口実を与えないように、砂を後からかけて
行ったのです。
そのため、 日本公使館と 訓練大隊の朝鮮人との間で通訳をしていた
朴 銑 という26才の通訳官を謀反人として 朝鮮人による裁判で処刑して
口封じしていったとされています。
彼は、ただの朝鮮語を日本語に通訳する若い通訳官であったのですが、いろんな
罪を作って 死刑にして、証拠隠滅の為に当時、抹殺されたようです。
彼は事件の真相を知りすぎていたのです。
【 現地に派遣された 小村 壽太郎 外務省政務局長 】
これらの工作には、 伊藤 博文公の内意を受けて 井上 馨 特命全権大使
と、小村 壽太郎 政務局長によって、 金 弘集 氏らに依頼され、当時の朝鮮
政府の要人達によって 朝鮮人によって裁判が厳正に行われ、事件が処理されたと
いう形がとられていったとされています。
に逃走して保護を求めて殺到し、 多くの官吏達が当時、避難していたのですが
ロシア帝国 公使館では、公使館防衛という名目で、海軍の陸戦隊を元山、仁川
から上陸させ、 首都漢城に向かわせていたのです。
各国の西洋諸国の公使館も、公使館防衛と称して、武器弾薬を搬入し、仁川の
沖合に海軍艦艇を停泊させて、 武力決起した開化派を牽制していたそうです。
彼等は、 国王 高宗が、大日本帝国とその一派に監禁されていると考えて
からの武器弾薬援助を要請し、 武器を調達して 王宮に兵力を進めようとしていた
とされています。
こうして、 伊藤 博文 内閣が心配していた 西洋諸国と朝鮮半島で武力紛争に
発展することになっていったのです。
【 明日に続く。】