第2212回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2211話 春生門事件のこと。 2018年8月13日月曜日の投稿です。



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【 前話の続きより。】


  1895年 明治28年の11月28日の冷たい風が吹く夜の大朝鮮国の

首都の漢城ロシア帝国公使館などや、アメリカ合衆国公使館に避難して

いた 事大党と呼ばれる人達が武器弾薬を受取って1200名程度の勢力で

王宮に押しかけた事件を 春生門事件と呼びます。



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          【 当時の 国王の王宮  景福宮  大正時代撮影 】 



当時 景福宮と呼ばれた 国王 高宗の王宮に 春生門と言う門があったそうで

その門に、日付が変わって翌日の11月29日に押しよせたそうです。

当時の記録は非常に少なく、後の推測話などがほとんどですが、総合すると

国王 高宗が、日本政府や、大院君 興宣や、内閣総理大臣 金 弘集らに

監禁されているので武力で取り戻そうという動きであったとされています。

一説によれば、 内閣総理大臣 金 弘集氏を殺害することが目的であった

という説もあるようです。



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 彼等自体が 同年7月6日に閔妃とその一派を担いで ロシア帝国の支援で

クーデターを起こして、 大院君 興宣 と 日本政府の支援する 内閣総理大臣

金 弘集 氏らを追放して、その後、10月に乙未事変と呼ばれる決起事件を境に

彼等が政権をとって、形だけの裁判を開いて 首謀者とその家族を処刑し、その後

政治を行いだしたので、 それを見咎めての行動であったようです。



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  これらの決起には、アメリカ合衆国の公使館の武官や、牧師達も加わっていた

と記録にあって、 かれらは短銃で発砲して、 国王 高宗を公使館に移そうとした

とあります。

本来、 実質の支配者 清国人が 日清戦争で敗戦して 朝鮮半島から袁世凱

将軍らが消え、 朝鮮人でいち早く国家をまとめて、文明開化を行うべき所、首都

漢城では、 いろんな政治勢力がおのれの立場を強めようと 武力騒動が起きて

いった結果、 どんどん国が消滅していく原因になっていったようです。


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                 【 特命全権公使 小村 壽太郎 氏 】



   真夜中にこの騒動の報告を日本公使館で聞く事になった 小村 壽太郎氏らは

 多いに驚き、 伊藤 博文内閣の 朝鮮半島への内政不干渉の決定から、公使館

 の警備を厳重にして、今後どうするのか 多いに悩んだとあります。



   【 明日に続く。】