第2213回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第2212話 春生門事件 魚允中氏らの説得のこと。


                          2018年8月14日火曜日の投稿です。





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【 前話の続きより。】


   日本の明治28年 1895年11月28日の夜に発生した春生門事件とは、

 朝鮮半島の事大党と呼ばれる 閔氏の系列の 李 範晋 という 元農商工部

 大臣らが、乙未事変で各国公使館に避難していた官吏達に、「 国王が 金 

弘集 内閣総理大臣らに監禁されている。 助けなければならない。」と、号令を

かけて集まった人達が王宮の春生門に1200名程度で押しかけた事件を総称

するとされています。 




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                         【  魚 允中 氏 】


  これらの暴徒を相手に 命をかけて交渉し、解散させたのが 言い伝えでは

 魚 允中 氏であったとされています。

 彼が叫んだのは、 「国王は 監禁など受けておらず、平穏にお過ごしである。」

 と伝えたようですが、信用をしてもらえなかったようです。

 同様な出来事が、王宮のいたる場所の門で、衛兵と暴徒の間で行われ、結果、

 国王 高宗が監禁など受けていないことを証明するため、夜が明けて、朝に

 なって 代表者が 国王に会うために参内するということが約束されたようです。



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   大勢で押しかけて、夜中に大騒ぎになっていたところ、 アメリカ合衆国の公

使館の武官が短銃を抜いて 空に向けて 発砲し、「 ミナサーン シズカニシナ

サーイ、ワタシタチガ コクオウヘイカガ ドウサレテイルカ カクニンシテキマース。」

と言って、 暴徒の中から前に出て、王宮に参内することを 魚 允中氏らに強く求

めたとされています。

こうして、日付が変わった 11月29日の冷え込む深夜、 王宮の周辺には門を

警備する衛兵と、 押しかけた事大党と呼ばれる 乙未事変で追い出された官吏

とその加勢の朝鮮人とでにらみ合いが続いていったそうです。



【 明日に続く。】