第2217回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第2216話  明治29年のロシア帝国 朝鮮公使館の陰謀のこと。


                          2018年8月18日土曜日の投稿です。





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              【 当時の内閣総理大臣 伊藤 博文 公 】




【 前話の続きより。】


   朝鮮の首都 漢城にあった ロシア帝国公使館のウェーバー公使は、数ヶ月前

 の日清戦争で 大日本帝国が勝利したものの、国力が疲弊して、消極的に変化

 しており、再度、朝鮮半島大日本帝国が出て来る可能性は低いと考え、背後で

 軍事支援を活発化させ、一気に ロシア帝国の傀儡政権樹立に向けて動き出した

 とされています。

 そして ロシア軍をどんどん首都 漢城に公使館警備の名目で増員していった

 そうです。    



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        【  当時のロシア帝国 朝鮮公使 ウェーバー公使 】  



  これらの動きに対して、 大日本帝国の 伊藤 博文 内閣は、模様眺めに

終始して、 軍事介入や、当時の金 弘集 内閣に対して表立った支援を行わ

なかったようです。

こうして、 首都 漢城 では 軍事力が低かった当時の政権に対して武力による

3回目のロシア帝国が支援するクーデーターが発生していったのです。 

 これらの原因は、大日本帝国の伊藤内閣が、1895年 明治28年5月4日に

三国干渉と呼ばれる譲歩案を受け入れ、 占領していた 山東半島遼東半島

から撤退を表明して 外交上の弱みを露呈すると、 ロシア帝国は、遼東半島から

さらに朝鮮半島を影響下に置こうと、 同年 7月6日に閔妃と閔氏を軍事支援

してクーデターを起こして、 大院君 興宣 と 金 弘集 内閣総理大臣を追放し、


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                  【 当時の 漢城ロシア帝国公使館】



   同年 10月8日に日本公使館の朝鮮公使 三浦 梧郎 元陸軍中将らと、

 前軍部協弁 李 周會 氏らが 乙未事変を起こして、 王宮を強襲して閔妃

 殺害し、伊藤内閣がロシア帝国との開戦を回避するため 砂をかける行動を起

 こすと、 その後、体制を建て直して、 同年 11月28日に春生門事件が発生

 し、これが失敗すると、 翌年の1896年 明治29年1月に ロシア帝国の支援

 を受ける 李 範晋 氏らが、首都漢城の南にある 忠清道で武力決起をおこし、

 同年、2月初旬に 大朝鮮国の首都 漢城に押しよせて来たそうです。



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  これらの動きに対して、 大日本帝国の 伊藤 博文 内閣総理大臣らは、再度

朝鮮半島に派兵すると、 ロシア帝国と戦争状態になることを恐れて様子見を決め

込み 当時の朝鮮の 金 弘集内閣に対して 軍事力での支援を行わなかったと

されています。 

  こうして 朝鮮半島はどんどん ロシア帝国の陰謀が渦を巻いていき 人々は

巻き込まれていったようです。


【 明日に続く。】