第2202回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第2201話 大日本帝国 関東州 大連港のこと。
2018年8月23日木曜日の投稿です。
みなさん 今日から少しずつ紹介する 海軍兵学校 第52期 の練習航海
の写真は この写真帳から写真を紹介して行きます。
の翌年の写真帳で、おおよそ400部程度作られたのではと思います。
この写真帳、戦後の現在で言えば、 卒業アルバムと修学旅行の写真をあわ
皇国【おくに】からいただく大切な写真帳でした。
この写真帳の中には、戦後の現在 忘れ去られた事実や写真が詰まっていて
毎日少しずつ この写真帳から写真を紹介しながら 練習艦隊の様子や、当時の
お話しを紹介していくつもりです。
この上の写真などは 大変珍しい写真で、 高松宮殿下の大正13年7月24日
【海軍兵学校 第52期 大連港 上陸写真 】
ところで 私達は旅順に入港したと思い込んでいたのですが、実はそうでは
なかったのです。
どう言うわけか、 浅間 出雲、八雲の3隻の練習艦隊は、となりの大連港に
入港したのです。
【 大正時代の 朝鮮半島の地図 】
「実は、ロシアがお金を清国に支払って 租借したので、出て行け。」と圧力を
かけられて 追い出された 遼東半島にあった港町でした。
ここ 当時の関東州 大連港は 日本の領土で、商業都市で、戦後の
今風に言えば 九州の博多のような、交通の要衝であったのです。
【 大正時代の 関東州 大連の地図 】
当時 大連湾という 大きな湾の奥に 大きな港があって、ここから中国大陸、
つまり 満州鉄道が始まる起点であったのです。
ここに 多くの人や物資が陸揚げされ、 満州鉄道で中国大陸に運ばれて行った
のです。
当時 大連には 戦後の現在忘れ去られていますが、日本橋とかも
あったのです。
私達は、 整列して 大連の市街の見学こと、 見物を楽しむ事になって
いったのです。
私達は わくわくしながら 短艇に乗り込みまして、陸をめざしたのです。
【 明日に続く。】