第2203回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第2202話 海軍兵学校 第52期少尉候補生 大連上陸のこと。


                             2018年8月25日土曜日の投稿です。



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     【 大正13年7月24日 江田島の大講堂前にて 高松宮 宣仁 殿下】



【 前話の続きより。】




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       【  当時 遼東半島は日本の領土で 大連は大都市であった。 】




  関東大震災の翌年の大正13年の8月、 私達、海軍兵学校 第52期の

 少尉候補生を乗せた 日本海軍 練習艦隊の 浅間、出雲、八雲の3隻は、

 黄海を北上して 遼東半島の大連港に到着し、 私達は上陸することになって

 いったのです。



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          【 大正13年当時の 日本海軍 練習艦隊司令部 】


 当時の練習艦隊の司令長官は 古川 鈊三郎【しんざぶろう】海軍中将で

ありました。



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             【 練習艦隊司令長官  古川 鈊三郎 海軍中将 】



  古川 司令長官は、当時 本省派 と呼ばれる 山本 権兵衛 海軍大将の

 派閥に属していた将官で、 海軍大臣 秘書官や、軍事参議官副官などの職に

 ついて 山本 権兵衛 海軍大将こと、 前年の 内閣総理大臣 山本 権兵衛

 さんに長くお仕えしていた 本省派の軍人でした。

 記憶によると、 私が海軍兵学校在学中は、横須賀鎮守府 参謀長の要職から

 関東大震災の発生した 大正12年9月当時は、海軍省 教育局長の要職に

 あって、私達、少尉候補生がお話しできるような身分の人では無く、 雲の上

 の人でありました。


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   ところで 私達が大連に到着すると、 大連在住の日本人の町内会の人達が

 港で整列して出迎えてくれたのです。

 当時、 港に近づくと、「  大日本帝国 ばんざーぃ 。」 と 旗を振って出迎えて

 いただき、 とてもよい気分になったことを覚えています。



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   私達は大連の港に上陸すると整列して 出迎えのみなさんに心を込めて

  敬礼を行い転進を開始したのです。

  みんなに整列して 旗を振って出迎えていただくと、それは それは とても

  気分が良くて上機嫌になったのを覚えています。

  赤煉瓦の建物で 辛抱して卒業してよかったと思った瞬間でありました。

  行き先は、当時告げられず、どこに転進するのか知らされなかったのですが、

  概ね、 大連の市街地であろうと思っていました。



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      私達は日本橋と呼ばれる 大連のメインストリートを通過して



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    山縣通り と呼ばれる それは それは 内地の道とはかけ離れた

    道幅の広い大通りを通ることになって行ったのです。

    山縣通り とは、 第3代 内閣総理大臣 山縣 有朋公の名前をとって

    つけられた 大連の大通りでありました。

    



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           【 海兵52期 八雲 少尉候補生 集合写真 】




      もくもくと 行進していた私達は みなみな口には出さぬものの

    
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        【 当時 人より目立つことばかり考えていた 若い頃の写真 】




      「いずれは 東郷 平八郎 元帥のような大手柄を立てて、

      自分の名前のついた通りを いずれは造ってやるんや。」と、こんな思

      いの野心に満ちあふれていたのでした。


【 明日に続く。】