第2206回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第2205話 「練習艦隊 大連を出港す。」のこと。
2018年8月28日火曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
失っていったというお話しを前話で紹介したのですが、 今の戦後の物差しで
見た場合に、 例えば、北海道のどこかにロシアと一緒に鉄道を建設して利益を
折半しよう、一緒に合弁事業を行おう、 経済活動を行おうと持ちかけられて同意し、
その後、その地域がどんと゜んロシアの領土化が進んで行くとしたら、我々は
安易に同意したりしないようにしなければなりません。
を強制労働させて、何十万人も殺しながら鉄道を建設していったのです。
その鉄道を日本が戦争に勝って、接収し、満州鉄道という名称で運用していった
その初代 総裁が 後藤 新平 さんであり、 昭和に入ると、松岡 洋右 さんで
あったわけです。
大連の町が昭和の初頭に 満州国の貿易額の75パーセントを稼いでいた
という数字は、 ダルニー湾こと大連湾の広い港と鉄道のおかげでした。
ロシア人は 先見の明があったわけです。
と申し立てて、 5年も6年も大連に居座って、 国民党や中国共産党と対立
していくのです。
土地であったのです。
以上が 大まかな大連の紹介でしたが、私達、海軍兵学校 第52期の少尉
候補生は短い上陸の後に、また、大連湾に別れを告げ出港することになって
いったのです。
【 当時、 艦隊行動の予定を考えていた先任参謀の 日暮海軍中佐 】
「 淵田候補生、 次はどこに連れて行かれるのか 貴様、どう思う。」と問われ
て、 「 さてーーー、 先任参謀次第ちゃぅ。」 と回答したのを覚えています。
【 明日に続く。】