第2207回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第2206話 遼東半島 旅順港のこと。2018年8月29日水曜日の投稿です。





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                【 大正時代の朝鮮半島の地図 】



【 前話の続きより。】



   大正13年8月、 日本の領土であった遼東半島の大連の港を出港した

 日本海軍 練習艦隊はそのまま半島の先端部にあった 旅順港に転進した

 のです。



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      山東半島遼東半島渤海水道の近くにある 岩場の多い狭い港は

    少数の艦艇が停泊するのは適していて、 周囲に山々が囲むようにあって

    大砲の撃ち合いをする当時の海軍の艦艇の防衛には適していた港でした。



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   大砲の撃ち合いをする時代にはと表現したのは、航空機で攻撃されると

  袋の鼠のような場所で、 山々に囲まれた狭い港であったのです。




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  ここの土地を軍事基地にしたのは清国人でありました。

 ここを押さえると 天津などの港の出入りが監視でき、便利の良い場所であった

 のです。



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  清国人は この旅順に石垣の中国古来の城塞建築によって 城を築いて

 造船所を造っていったのです。

 

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  清国人は 旅順港を一大軍事拠点として整備していったのですが、 明治27年

に乃木 希典 陸軍少将率いる 東京 第1旅団の攻撃を受けて 降伏していった

のです。




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  日本陸軍の砲撃に対して、 中国古来の石垣の城塞はもろくも崩れていき、

 中にいた清国人は手をあげて降伏したと伝えられています。



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     日本陸軍の東京第1旅団が占領した後に、 明治28年にロシアがこの地

   を横取りして 租借すると ロシア人はここに大きな軍事要塞を建設し始めた

   のです。

   そして、 この旅順港に ロシア太平洋艦隊を入港させて、常時 この水域

   で活発に軍艦の運用を開始したのです。



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   ロシア人は 清国人に対して、「 日本人に対する防衛。」と説明し、 清国人

 も日本人が攻め寄せて来る抑止になると思い込み、 これを見咎めなかったの

 です。

  ところが、ロシア人は 租借地を清国に返還することなど考えておらず、清国

  を攻撃して占拠する前線基地となって行ったのです。

  ここ旅順は5年後 要塞が完成し、鉄道も完成すると、ロシア帝国は清国に

  攻め込むことになって行くのです。

  これらの行為を見ていた日本人は、次は日本に攻めてくるに違いないと

  日露戦争が始まっていくのです。



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   清国人はロシア人に騙されて、 遼東半島をロシア人に貸し出して、5年後

  みずからが攻められて 清帝国が滅亡することになって行ったのです。


  
  【 明日に続く。】