第2208回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第2207話 旅順要塞の概要のこと。 2018年8月30日木曜日の投稿です。
【 旅順 日露布陣図 】
【 前話の続きより。】
旅順要塞と旅順港は、5年後に清国を攻める前線基地となっていったと
紹介したのですが、どんな要塞であったのか、どんな港であったのか紹介
すると、 上の地図がおおよその概要を表示する平面図となります。
この地図は日本陸軍第3軍の12月2日の日露の軍勢の布陣を表した
地図で旅順要塞の概要を知る上で良い資料です。
【 旅順要塞 ロシア軍 沿岸砲台の位置図】
入り口の狭い水道の奥に、ロシア帝国の太平洋艦隊の停泊地があって
南側の半島の崖の山の上にロシア軍の砲台があって、日本海軍の艦艇を
狙い撃ちにするので、 戦艦と言えどもなかなか近づけなかったのです。
【 ロシア軍の砲台跡 】
【 旅順要塞 鉄道停車場 】
水道を通過して 右に旅順旧市街という場所があって、ここに鉄道の
停車場や、造船所があって 艦艇の修理が可能であったのです。
【 旅順旧市街と造船所の明治時代の風景 】
日本陸軍の第3軍の司令部は、偵察は行ったのでしょうが、 清国人が
造った 城塞の延長程度と考えて、鉄道の周辺を中心として 部隊を前進
させたようです。
清国人が東洋一と豪語した城塞は、石を積み重ねて積んでいく、古来の
城塞であったので、近代の大砲で砲撃すると 崩れていったのです。
ロシア人はどうしていたかというと、 土を上手に利用して陣地を構築し、
重要な部分をベトンのトーチカを建設していったのです。
ベトンというのは何かと言うと、 英語で コンクリートというのですが、
フランス人やドイツ人は コンクリートの事を 当時 ベトン と発音していて、
ロシア人も当時 ベトンと呼んでいたそうです。
すべてではないのですが、 重要な箇所をベトンこと、コンクリートで構造物
を造って、その上に土を上手に使って陣地を構築していったのです。
【 青色が 金沢の第9師団 赤色がロシア軍の軍事要塞 】
上の矢印が ロシア軍の前線陣地で、日本陸軍は後方に砲兵隊を
布陣させて 砲撃の後に歩兵部隊を前進させていったのですが、
当時の日本陸軍の所有していた 瑠弾砲ではまったく効果がなかった
そうです。
通常、砲兵隊の遠距離支援射撃で相手の陣地に大損害を与えた後に
地上部隊を前進させるという従来の日清戦争の戦術では通用しなかった
そうです。
【 明日に続く。】