第2220回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第2219話 義和団事件 西洋人の陰謀のこと。


                         2018年9月12日水曜日の投稿です。







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  【 前話の続きより。】


  1900年 明治33年の頃、義和団と呼ばれる民衆の一揆が発生し、約20万人

 が、当時の清帝国の首都 北京に押しよせる騒動というか、争乱が発生していった

 のですが、 当時のドイツ帝国や、フランスやイギリスなどは、わざと義和団

 刺激するような行為を行って、 彼等を煽動し、 彼等から攻撃をさせて、一気に

 近代兵器で攻撃して殲滅しようと企んだとされています。



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 これらの騒動や、諜報員からの報告で、おおよその出来事を把握したロシア帝国

は、 この際、軍隊を現在の中国の東北部に進めて、シベリアから遼東半島までを

制圧しようと計画したとされています。

それが成功すれば、シベリア、満州、 遼東半島までがロシア領でつながり、

すでに朝鮮半島は 親露政権が樹立されていたので、併合すれば、極東が日本を

除いてロシア領土になるという計画だったようです。





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  事件が発生したのは、 ドイツ帝国清帝国の許可を取らずに、電話線を

 敷設したり、 清国の砲台を占拠したりするという、こういう挑発行為を行った

 後に、わざと、工作員を使って、これらの事実を 北京周辺の義和団に情報を

 流したとされています。



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   この砲台、 清国にとっても 北京の表玄関の天津港を防衛する拠点で

  あったそうで、当時、大きな怒りが清国人にわいたそうです。



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    こうして、義和団や、当時の清国政府高官を怒らせていったそうですが

 これが ドイツ人達の企んだわなだったそうです。

 彼等は、国際社会が認める戦争の大義名分がほしかったようです。

 西洋人の社会で、だれが見ても、 「それは清国人が悪い、仕方がない。」と言う

 理由がほしかったようです。

  残念な事に、 烏合の衆であった 義和団の一団は、抑止や自制がきかず、

  北京の西洋諸国の公使館を襲うという事件に発展していったそうです。



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   こうして、清帝国の首都 北京で、外国の公使館の外交官らが襲われ、

  ドイツ人だけでなく、 日本の北京公使館も襲われ、暴徒に包囲されるという

  事件に発展していったそうです。



   【 明日に続く。】