第2221回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第2220話 義和団事件 北清事変前夜の出来事。


                        2018年9月13日木曜日の投稿です。




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   【 前話の続きより。】



   1900年、 20世紀に入ったこの年、 明治33年の6月10日頃、北京に

 押しよせた 義和団と総称される民衆達は、数年前の敵国の大日本帝国

 北京公使館に押しよせ、これを破壊し、書記官の杉山 彬 さんを集団で

 なぶり殺しにしたとあります。

 この事件、いろんな説があって、実は日本公使館を警備していた清国の兵士

 が、押しよせる義和団の民衆に加わるため、その手土産として日本公使館の

 日本人を殺害して 首を差し出したとか、そういう説もあるそうです。


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当時、多いに北京は混乱していて、詳細な出来事がわからなかったようです。

つい最近の出来事で言えば、平成初頭の天安門事件の争乱の時のように、

北京が争乱状態となり、情報が混乱していた当時とよく似ているようです。

外国人と協力して国に害を与えていると決めつけられた人達が襲われていった

とされています。



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  【 殺害されたとされる ドイツ公使館 グレメンス フォン アーテラー公使 】   



 そして 10日後の同年 6月20日には、当時の北京駐在のドイツ公使の

 グレメンス フォン アーテラー公使 が殺害されると言う事件に発展していった

 そうです。

  日本公使館の残余の人、 ドイツ公使館の残余の人、 その他の西洋の公使館

 の人達は、1箇所に集まって、連合して防御し、包囲されて孤立していったと言い

 伝えられています。


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  このような大まかな出来事があって、 ドイツ人の思惑通り、清帝国は国際社会

から非難を受ける立場になっていったのです。

残念な事に 当時の清国政府に20万人の暴徒を制御することは当時出来なかった

つまり、いろんな地域の人達が広範囲から押しかけて 代表者が誰なのか、話の

行いようが無かったとされています。

そして、これらの出来事を利用して 清国政府内で西洋社会と協調して政治を

行おうとする一派を追い出して、 外国人を排斥しようとする一派がクーデターの

ような事を起こしていったとされています。


  【 明日に続く。】