第2225回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第2224話 北清事変 シーモア海軍中将のこと。
2018年9月17日月曜日の投稿です。
中国大陸の天津という都市に租界【そかい】という 外国人専用の地域が
あって、 ここに西洋各国が領事館をおいて、海軍の艦艇などが停泊していた
当時、 北京の西洋各国の公使館から 「義和団に包囲され攻撃を受けている。」
「 ドイツ公使が義和団に襲われて処刑された。」と 言う電報を最後に、連絡が
つかなくなったので、イギリスやフランスやオーストリーやいろんな諸国は協議して
連合軍を結成する事になっていったそうです。
その軍勢を 北清事変 第1次連合軍と 歴史上では表現するそうです。
この時点では、清国政府が押さえられない民衆の暴動が発生したので、各国の
領事館の警備の兵士や海軍の艦艇から兵力を抽出して、救助部隊を編制する
という行為が行われたようです。
その兵力の主体は、海軍の水兵で構成されていて、各国艦艇の水兵で
兵力は2千名程度であったとされ、各国は 当時 イギリスの海軍中将の
シーモア海軍中将を統合司令官に選んだとされています。
この寄せ集めの軍隊、 言葉も違えば、武器弾薬も違い、補給路を確保する
という戦略上の観点から、 清国人に破壊された 京津鉄道という 天津と北京を
結ぶ鉄道が当時あって、 この線路上を修復しながら北京に進むという戦略だった
そうです。
確かに、水、食糧、弾薬を鉄道で補給しながら進むのには都合が良いのですが
進撃スピードは極端に遅く、 線路を修復しながら北京に進んで行ったそうですが、
北京と天津の中間に、廊坊 という都市があって、ここまで来た時に、清国側から
宣戦布告状を受け取ったとされています。
シーモア海軍中将らは、 暴徒に北京の各国公使館が包囲されているとの
報告を基準に 海軍将兵をかき集めて救助に向かっていたのですが、清国が
西洋諸国すべてに対して宣戦布告してきたと知ると、多いに驚いたそうです。
それは、わずか2千の寄せ集めの将兵で、北京に攻め込むのは 考え物だと
思ったようです。
このような経緯で、 当時の電信、モールスによって、すぐさまそれぞれの国々
に西太后が命令した 宣戦布告状は報告され、 その情報は世界を走ったとされ
ています。
この報告を基に、西洋各国は、清国との開戦を決定し、 急遽、各植民地から
陸上兵力を抽出して、天津に向かわせることになって行ったとされています。
後の歴史家の話では、 西太后は ドイツ人だけと戦争をすれば、勝算が
あったかもしれません。
ところが、 関係の無い国々まで一度に多数の国を敵に回していった。
これが 清帝国の崩壊につながっていったと批判されることになっていった
のです。
彼女が ヒステリーを起こして、 周囲のいさめを聞かず、そういうことに至った
という事になっていますが、 実際はどうであったのかは、霧につつまれた
出来事であったようです。
【 明日に続く。】