第2231回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第2230話 北清事変 日本海軍 タークー陸戦隊のこと。
2018年9月23日 日曜日の投稿です。
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【 前話の続きより。】
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【 山本 権兵衛 海軍大臣 】
に滞在する日本人商民を保護し、必要あれば 内地に連れ帰るべし。」との
命令であったそうです。
西洋人らとの戦闘も御法度であったそうです。
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【 巡洋艦 須磨 艦長 島村 速雄 海軍大佐 】
海軍大佐と打ち合わせを持ったとされています。
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イギリスの要求として、 「連合軍に加わってくれないか。」 との打診があった
ようですが、 島村 海軍大佐は、 「 現状では 命令がないので 動けない。」
とすることを丁寧に説明したそうです。
その代わりに、 清国の宣戦布告の原因になっていった タークー砲台を
イギリス側は 撤退するので、 日本側に 預かってほしいと言う事と、 清国の
武装した 小型船から、 外国艦艇を守って保護してほしいと 要望を受け、
それを受け入れたそうです。
日本側としては、 どこかに 日本人商民を滞在させる陸地が必要であったと
言う事と、タークー砲台の近くの制海権を維持することが安全上不可欠
と現地で判断したようです。
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巡洋艦 須磨 では、 陸戦隊が急遽編制され、北清事変の先陣として
天津の東の半島の先のタークー砲台へと、 続々と上陸して行ったのです。
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西洋各国は、 タークー砲台から兵力を 天津に移動させ、清国の軍勢が
押しよせて来ることに備えることになって行ったのです。
天津の連合軍は、 少ない兵力を 天津に集中し、 そして その後を日本海軍
に警備してもらい、周辺海域を 警備してもらう事で、 前面のみに集中できる
事になっていったのです。
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そのような中、 清国の精鋭 武衛軍などが ドイツのクルップ社から輸入した
兵器で武装して、 天津に押し出してきたのです。
いよいよ、 第一次連合軍と呼ばれる 寄せ集めの西洋人の軍隊と、清国の
精鋭の軍勢が 激突することになって行ったのです。
【 明日に続く。】