第2232回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第2231話  北清事変 ロシア帝国の宣戦布告のこと。


                       2018年9月24日月曜日の投稿です。




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    【 前話の続きより。】


    日本海軍 巡洋艦 須磨  島村 速雄 海軍大佐の艦艇が天津沖に

  展開し、 海岸沿いの タークーという場所に 陸戦隊を展開していた当時、

  遠く、ヨーロッパのロシア帝国の首都サンクトペテルブルクでは、極東を

  ロシア帝国で押さえて領土にしてしまおうとの会議が行われていたそうです。


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   当時の首都は現在のモスクワと違って、 サンクトペテルブルクという都市に

 首都があったそうです。

 当時、ロシア帝国は、 朝鮮半島で 親日政権として誕生した、 金 弘集内閣

 をクーデターを計画して 転覆させ、 国王 高宗をロシア公使館に移して、親露

 政権を樹立して その影響下においていたのです。


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    以前紹介した 遼東半島をロシアが占有していて、 一気に 朝鮮半島

  から 満州などを ロシア帝国の領土にしようと 動き出していったのです。



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    当時、 どんどん シベリア鉄道で ヨーロッパから軍勢を極東に移動

  させ、清国侵攻作戦の準備を行っていたのです。




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      当時、 清帝国ロシア帝国は、一緒に鉄道を建設したり、共同事業を

   行うなど良好な関係にあったそうで、清国はロシアが攻めてくるなど考えてい

   なかったようです。



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     こうして 西太后らは、 西洋人だけでなく、 ロシア帝国からも攻められ、

    兵力を分散させる事になっていったのです。



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     当時、天津に向かって進撃していた 武衛軍はロシア帝国参戦の話は

   知らされず、 イギリス、フランスなどの西洋諸国の連合軍と戦うことに

   なっていったと 伝えられています。

  

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                   【  直隷総督  裕  禄  】


   西太后の命令を実行できなければ、処刑されて胴と首が離れていた当時、

   直隷総督 裕 禄 という人は、 配下に 同様に 厳しい命令を出し、配下の

   武将達に、 敗戦したら 処刑すると 厳しく命令し、 命令を受けた諸将は

   命をかけて 天津に進撃していったのです。

 


   【 明日に続く。】