第2235回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2234話 北清事変 聶 士成将軍らの戦死のこと。


                          2018年9月28日金曜日の投稿です。




【 前話の続きより。】



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  1900年 明治33年7月に圧倒的な兵力で押しよせた 清帝国の軍勢は、

ドイツから購入していた、 瑠弾砲や 小銃で西洋式装備で武装し、天津の

西洋人の領事館などに向かって、攻撃したのですが、 西洋諸国の 第一次

連合軍は、陣地の防衛に専念し、当時の最新の水冷式ベルト給弾式のマキシム

機関銃を数丁、効率よくすえて撃ちまくり、 清国の軍勢は多くの死傷者を出して

引き揚げたそうです。


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  西洋諸国と、清国の武衛軍が大きく違っていたのは、 命令の伝達方法と、

 司令部の旗であったそうです。


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 清国の司令部は、古来通りの中世の姿で、 大きな旗を掲げ、存在感を示し、

 虎金などや太鼓を打ち鳴らして、音を合図にしていたようです。

 これらの行為は、 司令部がここにあるということを敵に教えるようなもので、

 西洋人の砲兵隊の目標になって行ったそうです。



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 1900年 明治33年7月9日、 西洋第一次連合軍の発射した瑠弾砲の砲弾が

この大きな旗がひらめく 清帝国 武衛軍の本陣に数発着弾し、多くの戦死者を

出したと伝えられています。



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         【  清国 武衛軍 総大将 聶 士成 じょう じせい 将軍 】


  天津攻撃の作戦指導に当たっていた、聶 士成 将軍や、幕僚、伝令など

が砲撃に巻き込まれて戦死し、 清国の軍勢は総大将を失い、 機関銃によって

多くの戦傷死者を出して 郎坊に向けて 退却したと言い伝えられています。



 【 明日に続く。】