第2258回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2257話 北清事変 西太后の北京脱出の決断のこと。


                     2018年10月22日月曜日の投稿です。




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   【 前和の続きより。】


   1900年 明治33年の8月13日頃、 李鴻章西太后に対して、「 北京に

 こだわらず、今すぐ敵に包囲を受ける前に 北京を脱出すべきです。」 と主張

 したそうです。




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          【 清帝国 北洋大臣 李鴻章 り こうしょう 】


  彼は、西太后から「 和平交渉を行いなさい。」と命令されたのですが、「今

  ここに至って、外交交渉は成立しない。」 と持論を展開したそうです。

  19世紀から20世紀に入った当年、 外交交渉が成立するには、相手と

  同等の国力を有し、相手と対等な立場で交渉してこそ、成り立つものと

  彼は知っていたのです。


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  8カ国の連合軍に北京を包囲された状態で、何を提案しても 相手は応じ

  ないであろうと 良く知っていたわけです。

  そういう事情で、西太后に対して、北京を放棄し、 西安に移動して陣形を

  整え建て直して 西洋諸国連合軍と外交交渉に臨むのが得策であると

  意見具申したそうです。



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   西太后が しばらく無言で考えている間に、宦官達が、「北京を捨てるなど

 考えられません。」と騒ぎ出すと、 西太后は、「 みな 静かにしなさい。」と

 声を荒げて呼びかけると、 「 李鴻章、 そなたを 直隷総督、北洋大臣に

 任じます。 そなたは 西洋人と交渉して そなたの考えて゛よきに計らいなさい。

 どのような条件でも、そちの判断に任せます。

 それから、裕 禄を捕らえて 連れてきなさい。 

 輿の準備をすぐしなさい。」 と叫ぶと、 彼女は北京を捨てる決断を

 すぐさま行ったと言い伝えがあります。



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    こうして 西太后は西洋諸国8カ国連合軍が北京を包囲する前に、北京を

  脱出し、清帝国 歴代の財物などを放置したまま、すべてを放りだして急いで

  北京を出立する事になっていったのです。


    【 明日に続く。】