第2261回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第2260話 北清事変 清帝国の財宝のこと。2018年10月25日木曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
との情報は、当時のイギリス インド総督府の軍司令官 ガスリー司令官に報告
され、 彼はそのお話しを聞いて目の色を変えたと伝えられています。
主力を担わせ、 最後に 自分達 イギリスがロシアやドイツや日本を差し置い
てこの戦闘行為の総括として、イギリスが戦争を主導し、包囲されていた 各国
領事館と外交官を暴徒から救出した中心人物として名誉を手にするにはどうし
たら良いかと知恵を巡らせていた最中に、清帝国の歴代皇帝の財宝のお話しが
舞い込んできたのです。
これは、ぜひ、自分達で押さえて 本国に送れば多いに評価を受けるに違い
ないと計算したようです。
それには、日本陸軍を上手に使って、危ない場所の戦闘は日本人にやらせて
他の同盟国の少数の兵力の軍隊は、占領地の警備でもやらせて、要所の
占領はイギリスのインド派遣軍と、オーストラリア植民地軍で行わなければ
ならないと知恵を巡らせることになって行ったのです。
当時ヨーロッパでは、チャイニーズ アンティーク と呼ばれて、お皿にしても
人形にしても、随分高値で取引されていたのをガスリー司令官は知っていた
のです。
皇帝の住んでいた紫禁城にあったというだけで、家具にしても、調度品にしても
それはそれは高価なお値段がついて、これは大もうけが出来ると思ったよう
です。
当時のヨーロッパでは、チャイニーズ風の文物を揃えて、お部屋を装飾する
ことが、大金持ちの静かなブームであったのです。
【当時の連合軍総司令部 集合写真 中央がガスリー司令官 】
ガスリー司令官は、将校を集めて訓示を行い、
「 ミンナ キキナサーィ。」
「 イヨイヨ ペキン シンコウデース。」
「 ザンネンナガラ ペキンノ シンコクジンハ、 インディアン。」
「 コウシカンニ タテコモル ガイコウカンタチハ ホウイサレタ カイタクミン。」
「 ソシテ ワレワレハ、ソレヲキュジョスル カッコイイ キヘイタイデース。」
「 テイコウスルモノハ ミナゴロシニ シナサーイ。」
「 カナラズ ロシアジン ヨリ ハヤク ペキンヲ オトスノデース。」と 訓示を
行なったのです。
【 連合軍 総司令官 ガスリー司令官 】
こうして、 危ない場所は日本人にやらせて、 要所は イギリスで押さえて
しまおうという作戦が進められていったのです。
【 明日に続く。】