第2265回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2264話 北清事変 紫禁城の宝物のこと。


                     2018年10月29日月曜日の投稿です。



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         【 北清事変 8カ国連合軍総司令官 ガスリー司令官 】



【 前話の続き。】


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                   【 イタリー王国 海軍陸戦隊 】



   1900年 明治33年 8月14日頃、 8カ国連合軍総司令官 ガスリー司令官

は、小規模兵力のオーストリア ハンガリー帝国や、イタリー王国などの部隊を、

紫禁城の東南方向に日本陸軍と一緒に外国公使館員救助のために向かわせるよう

に命令を発令し、 イギリスインド軍やオーストラリア植民地軍などは紫禁城

向かわせたとされています。


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                     【  インド植民地軍  】


  当時のガスリー司令官は後の批判を考え、日本陸軍にも紫禁城を攻めるよう

 命令を出し、 表向きは一緒に紫禁城を占拠するという行動を取ったのですが

 日本側には、兵糧などの穀物倉庫や、お金などが保管されているとされていた

 倉庫などがある場所を割り振り、 イギリス側は 王宮の中心部などを割り振った

 そうです。



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              【 当時の 8カ国連合軍司令部集合写真 】


  当時、 清帝国はそこそこのお金はあったようですが、慢性的な財政不足で

 あったことはイギリス側も把握していて、 空に近い倉庫群は日本側に割り振り

 貴重品が保管されていた王宮内部はイギリス側で押さえてしまったそうです。



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     こうして 西太后が間違った情報を基に、外国人排斥を命じたことによって

    当時の清帝国と西洋諸国と大日本帝国との戦争は、清帝国がわずか2ヶ月

    程度で敗戦し、首都 北京を占領されるという結果になって行ったのです。

    そして 地方の総督などが、清帝国を見限り、皇帝に替わって、地方の

    権力者が自ら政治を行うという 分裂を起こしていく原点になって行ったの

    です。



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    山東半島で ドイツ帝国と密かに和議を結んで 様子見をきめこんでいた

   袁世凱 将軍もその1人で、 彼は後に軍閥をまとめて 中華民国を建国

   することになっていきます。


   【 明日に続く。】