第2267回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第2266話 北清事変 連合国軍の略奪行為のこと。


                        2018年10月31日水曜日の投稿です。



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    【 前話の続きより。】


    西太后達が逃走した後、 いろんな推測説があるのですが、清帝国の宝物

  は、清国の官吏達が持ち出して、持てるだけ紫禁城から持って逃走したとされ

  ています。

  これらの多くは、その後、国民党が支配する事になり、現在は台湾の中華民国

  にその多くが国宝として保管されているそうです。



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  清帝国が出来てから、 つまり江戸時代の初頭から、歴代の皇帝が大切にして

いた宝物のことを 当時は 文物と呼んだそうですが、 まだまだ たくさんあった

そうです。

それは、現在 台湾に保管されている数量の10倍、 いや もっとたくさんあった

と言い伝えられています。


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   何が宝で、何がそうでなかったと言うのは 人によって評価が分かれる

  ところです。


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  ロシア軍は、金銀財宝を目当てに いろんな場所を家捜しして、必要な品を

  根こそぎ 持っていったそうです。



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     これを制止しようとする 清国人は 射殺されたそうです。

     日本軍はどうであったのかと言うと、 泥棒の様なことはしなかったそうです。


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     ただし、 日本で言う 倉、 西洋で言う 倉庫ですが、ここを占拠して、

     入り口に番兵を置いて、その影響下に置いたそうですが、 それが穀物

     であったり、いろんな物資の倉庫であったそうです。




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   日本人の考えというのは、自分達は 連合軍の指揮下であり、連合軍の

 司令部の命令には忠実に従わなければならないとの思いがあった様です。

 そう言うわけで、 清国人の一般人を襲ったり、高価な品を奪い取るような

 行為は 例外はあったのでしょうが、部隊としては行わなかった様です。



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   イギリス人はどうであったのかというと、彼等が目をつけたのは内宮、 つまり

  皇帝などの身分の高い人達の生活の場を押さえたようです。


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     当時の言い伝えによると、 黄金造りの食器など、インド人に命じて

   根こそぎ運び出して 持ち去ったそうです。


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     彼等から見ると、 上の真珠が細工された 食器などは西洋人の心を

   とらえたようです。



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  当時の言い伝えによると、内宮の 調度や家具、寝台にいたるまで持ち出した

 とされています。



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  日本軍は 倉庫を接収した、 ロシア人は 至る所、行く場所場所で略奪行為

を繰り返した、 イギリス人は、上のサンゴの様な、こういう皇帝の調度を持ち出

したそうです。


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    ところが、「皇帝などの文物を持ち出してはならない、略奪行為は

  慎まなければならない。」 という 呼びかけを行う人が 数週間の後に

  北京にやって来たそうです。


   【 明日に続く。】