第2272回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2271話 朝鮮総督 斎藤 實 海軍大将のこと。


                            2018年11月5日月曜日の投稿です。




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【 前話の続きより。】



   海軍兵学校 第五十二期の少尉候補生を乗せた 日本海練習艦隊は


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 朝鮮半島の南部の鎮海要港部 という軍港に入港し、ここで当時の要人の

 来訪を受ける事になったのです。



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    あれは大正13年の8月の暑い盛りの出来事でありました。



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当時、「 どう言う人がこられるんや。」と、隣の候補生に聞くと、「 雲の上の人だ。」

と回答するので、 「 そりゃ その通りやな。」と 話をしていると ラッパの音が

鳴り響き、 海軍大将の階級章をつけた、どっしりとした大柄の人や、その後から

続々と将官、佐官が続いて通り過ぎて行たのです。



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  当時、私達や、八雲の乗組員達は背筋を伸ばして 不動の姿勢にて、お迎えし

 たのです。

 おこしになられたのは、当時の朝鮮総督で、斎藤 實 海軍大将でした。



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                    【 内閣総理大臣 斎藤 實 】


  どんな人であったかと言うと、 酒豪で、がっしりとした体格で 少々のことで

  ものに動じない人であったそうです。

  そして 英語に堪能で、 アメリカ合衆国に知り合いが多くいて、親米派

  あったそうです。





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    【 大正13年 朝鮮総督 斎藤 實 海軍大将と練習艦隊司令部集合写真】



 この上の写真が 当時の大正13年の艦上で撮影された写真で 前列左から

 3番目が 朝鮮総督 斎藤 實 海軍大将で、前列 左はしが前話で紹介した

 鎮海要港司令官 松村 菊勇 海軍少将です。

 実は 斎藤 實 朝鮮総督は、私達に訓示を行いにわざわざ鎮海に来られた

 訳でなく、 高松宮様にご挨拶におこしになられたと聞いています。



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                        【 朝鮮総督府 庁舎 】



  当時の朝鮮総督は絶大な権限があって、数代に渡って陸軍がポストを独占し、

 警察と 陸軍の憲兵隊を一緒にしてしまい、つまり 陸軍が警察と一帯となって

 朝鮮の独立運動などを行う人などを一方的に弾圧していたのです。

 今の世で例えると、 警察官と自衛隊の警務が合同し、意に添わぬと決めつけた

 人に対して、法律を無視した行為を平然で行うという そういう朝鮮半島の政治

 であったのです。

 そこへ、海軍大将と言えども、海軍の軍人が総督として乗り込んでいくと摩擦が

 発生していった様です。


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  昭和11年に226事件で陸軍の怨みを買って目の敵にされて、決起部隊に

軽機関銃や銃剣で滅多打ちにされて殺害されることになっていくのですが、陸軍

の怨みを買っていたのは朝鮮総督となって、公平、法律の遵守を唱えて、陸軍

参謀本部と対立していったからと言う説もあります。

朝鮮半島日本陸軍の國にしようとしていた当時、 海軍が入って来て、

陸軍の意に添わぬことを続けていったようで、反発がおおかったようです。

斎藤 實 海軍大将は、山本 権兵衛 海軍大将の後を引き継ぐ 日本海軍の

実力者で、面倒見のよい人で、頭の切れる人物でしたが、 内閣総理大臣

なっても陸軍の陰謀によって思う様に物事を進められぬ日々を送る事になって

いったのです。

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      【 海軍兵学校 第五十二期の少尉候補生 高松宮 宣仁殿下】



 高松宮殿下にご挨拶に来られた斎藤 實 海軍大将が訓示をされた内容は

「身体を鍛えておくように、 何事も 体力の錬成が肝要である。」との お話しで

あったのですが、アメリカ滞在の頃のお話しをされて、 こうーービールを飲んで

運動すると 体格が良くなるというお話しがあって、私達は、「 ほうーーー、

ほんまかいな。」 と聞いていたのを記憶しています。

なんでも 斎藤 閣下は、若い頃は ゴボウのような身体をされていて、アメリ

合衆国に留学した当時、 当地の男と、自分を比較して、 どうしてこう体格が

違うのかと疑問を感じ、 考えたそうです。


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  そうすると、 出て来た解答が、 食事が違うと思ったそうです。

  彼等と 同じ飲み物、食べ物をとれば、 同じになるに違いないと悟ったそうです。

  当時、だれの食事を見たのかは知りませんが、 ビールをカブ飲みして、パンを

  食べて、肉を食べて、西洋野菜を食べていると、その後に立派な体格になったとか、

  そんなお話しだったと思います。

  戦後、私はビール中毒と言われる程度、ビールが好きになるのですが、

  当時は、 ビールに対して そうーー感心は持っていなかったと言うか、飲める

  環境ではなかったのです。

  【 明日に続く。】