第2278回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
2018年11月13日火曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
大正13年の8月当時、杵築大社 と呼ばれていた 出雲大社に参拝する
事になっていったのですが、 印象に残っていることは、ここの大社が、縁結び
の神様とされていて、 そして 皇室から勅使が派遣されて行事などが行われる
皇室と所縁のある格式の高い神社であったのです。
そこで 当時の八雲の分隊長であられた 鬼塚 武二 海軍大尉から 「くだらぬ
願い事は御法度である。」と言うようなお話しと、 参拝を終えた後に少しだけ
自由時間を与えるとのことであったのですが、 「暑いからと言って、服装を乱す
行為を慎むべし。」と言うお話しと、 「海軍将校は小さな商店には行ってはならぬ、
その港、 その町、その村で 一番高級な場所に行くようにせよ。」と訓示が
あったのを記憶しています。
「 くだらぬ願い事は厳禁である。」というそのお話しは、「くだらぬ 女との関係
成就など出雲大社にお願いをしてはならない。」という事であったのです。
問わず、婚姻には海軍大臣の許可が必要であったのです。
申請をする基準は、 高等女学校卒業程度以上 とあって、学歴のある
ご婦人と結婚をすることが軍律で当時定められていたのです。
戦後の映画や小説で、軍港の港町の芸者と海軍将校が恋に落ちてーー云々
と言うのは、戦後の創作話で、戦前は海軍省から厳しく禁止されていたのです。
それから、結婚相手の親族に、国賊行為や、懲戒行為のある人物がいると
いくら学歴が良くても 結婚の許可が海軍省から下りなかったのです。
つまり、 自由行動中に、芸者のいる店や、よからぬへんな店に行かないよう
にとそう言う注意事項であったのです。
当時、8月で気温が高く、暑いからと言って、上着を脱いだり、 ふしだらな
格好はしてはならない、 小さな貧乏そうな店には行かず、 1流のお店に出入
りして 海軍将校の品位を保つようにと言うお話しであったのです。
ところで 私は 「ご婦人と結婚できますように。」 などと お祈りせずに何を
お願いしたかというと、「 海軍をクビにならないように。」と お願いしたのです。
予備役にされ、 八八艦隊構想が中止となり、海軍兵学校も多くの職員が当時
「 おくにの為。」 と言う言葉だけで解雇されていた当時、私達は身分に不安を
持っていたのです。
「 もう少ししたら、海軍をクビになるらしい。」と言う噂が練習艦隊の中で囁かれ
ていたのです。
そういう事情で、せっかく海軍兵学校を卒業出来たのですが、「なんとか
海軍に残って 武勲を立てて名前が残る軍人になれますように。」
と、手をあわせて 出雲大社に参拝したのでした。
【 明日に続く。】