第2280回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2018年11月15日木曜日の投稿です。
1924年 大正13年の8月の終わり頃、私達 海軍兵学校 第五十二期
出発しまして、あっという間に 次の目的地に到着したのです。
舞鶴に行くに違いないと 同期とお話しをしていたのですが、そこは、きれいな
景色が広がる場所でありました。
そんなことをやっている間に、ラッパ信号が鳴りまして 私達は甲板に整列
することになっていったのです。
「 ほうーーーー ここが 舞鶴いうとこかいな。」 と、感心して風景を見ていた
のを覚えていますが、 後で知ったのですが実は、そこは舞鶴ではなかったの
です。
【 大正13年撮影 天の橋立 風景写真 】
【 大正13年撮影 宮津市 付近 】
当時、 練習艦隊 司令部 先任参謀の日暮 豊年 海軍中佐の意見具申で
候補生に きれいな場所を見せようという、司令部の計らいであったそうです。
今から考えますと、 私達を喜ばせようと 名所の訪問の予定を増やして
くださったわけで 軍縮が叫ばれ、何事も緊縮が求められていた当時、寄り道
をしてくださったわけで 有り難い出来事でありました。
私達は、 短艇をおろして 早速 現地を見物することになって行ったのです。
現在で言う、 宮津市の 天の橋立というのを 見に行ったわけです。
【 明日に続く。】