第2487回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2486話 日本海練習艦隊 新津日本石油會社工場訪問のこと。


                            2018年11月22日木曜日の投稿です。




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           【 新潟県 新潟市萬代橋  大正13年撮影 】


   【 前話の続きより。】


   1924年 大正13年の8月の後半、 日本海練習艦隊 海軍兵学校

 第五十二期の少尉候補生の面々は、新潟市萬代橋を見学したのです。

 「 ほぅーーーーすごいもんやのーーーーぅ。」 と、 それはそれは長い橋で

 私達は 地平線まで伸びるような大きな川の橋に驚いたと同時に、その

 高度な土木技術に感心をしたのでした。

  当時は、20年後に大和型の航空母艦に 信濃【しなの】 と艦名がつくとは

 想像もいたしませんでしたが、 「 大きな川やなぁーー。」とずいぶん感心し

 たのです。

 何しろ 川幅が約800メートル近くあるものですから、奈良県の出身の私は

 驚いてしまったのです。

 その後、私達の部隊は内陸に転進したのですが、行き先を告げられぬ間に

 どんどん進んで行き、 途中、あれは誰であったか失念しましたが、道路の

 近くに温泉の案内の立て札が出ていて、「 温泉に行くらしい。」 とか言う

 候補生がいて、「 うーーん、ほんまかいなっ、えーこっちゃっ。」と、楽しみに

 していたのです。

 
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          【 大正13年撮影 新潟市の町並みの風景 】


   看板によると、3年程前の大正10年に発見された温泉だそうで、赤茶色の

 湯が出るらしいのです。

 ちょうど そちらの方に部隊が進んで行ったので、そうとらえても仕方がなかった

 のですが、しばらくすると実は違っていたのです。

 新潟市から15キロ程度内陸に入った 新津 という場所がありまして、

 ここに新津日本石油會社工場という施設が当時あったのです。



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       【 大正13年撮影 新潟県 新津 日本石油會社工場 写真】



    私達が楽しみにしていたのは、戦後で言う 新潟県白根温泉のことで、

  実は その東側に当時あった、新津油田の工場見学を行う事になっていったの

  です。

  当時、世の中は、「 黒いダイヤ、石炭 から、液体のダイヤ 石油へ。」と、

  ものすごいスピードで変化して行く、そういう時代であったのです。


  【 明日に続く。】