第2487回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2018年11月22日木曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
「 ほぅーーーーすごいもんやのーーーーぅ。」 と、 それはそれは長い橋で
私達は 地平線まで伸びるような大きな川の橋に驚いたと同時に、その
高度な土木技術に感心をしたのでした。
想像もいたしませんでしたが、 「 大きな川やなぁーー。」とずいぶん感心し
たのです。
何しろ 川幅が約800メートル近くあるものですから、奈良県の出身の私は
驚いてしまったのです。
その後、私達の部隊は内陸に転進したのですが、行き先を告げられぬ間に
どんどん進んで行き、 途中、あれは誰であったか失念しましたが、道路の
近くに温泉の案内の立て札が出ていて、「 温泉に行くらしい。」 とか言う
候補生がいて、「 うーーん、ほんまかいなっ、えーこっちゃっ。」と、楽しみに
していたのです。
【 大正13年撮影 新潟市の町並みの風景 】
看板によると、3年程前の大正10年に発見された温泉だそうで、赤茶色の
湯が出るらしいのです。
ちょうど そちらの方に部隊が進んで行ったので、そうとらえても仕方がなかった
のですが、しばらくすると実は違っていたのです。
新潟市から15キロ程度内陸に入った 新津 という場所がありまして、
ここに新津日本石油會社工場という施設が当時あったのです。
実は その東側に当時あった、新津油田の工場見学を行う事になっていったの
です。
当時、世の中は、「 黒いダイヤ、石炭 から、液体のダイヤ 石油へ。」と、
ものすごいスピードで変化して行く、そういう時代であったのです。
【 明日に続く。】