第2489回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】


第2488話  日本海練習艦隊 新潟港 出港のこと。


                      2018年11月24日土曜日の投稿です。




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   【 前話の続きより。】


  私達 海軍兵学校 第五十二期の少尉候補生は、新潟県の新津という場所の

 油田の見学を行きまして どういうことを諭されたのかというと。



        「 世の中は、石炭から、石油にシフトして行っている。」 



  と言うことを教わったのです。


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  原油という、黒いヘドロから、揮発油や、軽油重油など、燃える液体が
  
  精製され、 それを燃やして動力を動かすと言うそういう内燃機関がどんどん

  世の中に広がりを見せて行く、そういう時期が大正13年であったのです。



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   ところで私達は、艦に戻るとまた辛い艦艇生活に戻っていったのです。


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   新潟を出港して また 波が高くなっていき、 艦が上にあがったと思うと、

 ずっしーんと下に下がってを繰り返し、 分隊長付から、体を動かして何かを

 行うと 船酔いになりにくいと教えていただいたのですが、 どうもいけません

 まず、食欲が減退し、体調を崩していく人が増えていったのです。



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   そんな中、 八雲の艦内には当時 12個の分隊があったのですが、

  少尉候補生は、「 今日はどこどこの分隊の実習をせよ。」と、命令があるの

  ですがいずれも水兵と変わらぬ肉体労働で、大変な作業であったのです。



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     艦の中は、 ボイラー室などの近くの蒸し暑い どうにもならない場所や

    冬のように寒い寒い場所もあって、 それはそれは辛い艦内生活であった

    のです。



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   そんな中、 八雲の艦内で、大波で揺れる中、「 もうあかん、 吐きそうに

  なって来た。」と 口を押さえていると、ラッパ信号が鳴って、 砲撃訓練を行う

  と発令があり、私達は、揺れる艦艇での砲撃訓練を行う事になっていったの

  です。


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  江田島海軍兵学校で、砲撃訓練はいやという程度行って自信があった

 のですが、 上にあがって、 下に沈むを繰り返す、揺れる艦艇での訓練は

 初めてであったのです。


  【 次回に続く。】