第2507回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第2506話 日本海練習艦隊 両舷平速のこと。


                        2018年12月12日水曜日の投稿です。






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   【 前話の続きより。】


    以前、みなさんに紹介したのですが、 私達を乗せた日本海練習艦隊が

  通過しようとしていた 三陸沖という場所は大変海の波が高く、艦が揺れる

  海域であったのです。

  どうして 波が高くなるのか、 それは海流と水深に理由があるそうです。


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   どこの国の海軍の艦艇もそうなのですが、平時においては 経済速力という

  速度があって、大正時代の日本海軍の艦艇の経済速力は15ノット およそ

  時速約30キロ程度であったのです。

  これを大正時代の当時は、「 平速。」 と書いて へいそく と呼んだのです。


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  当時、石炭を燃やして 最高速力を出すと、 燃料を多く消費し、結果、艦の

  航続力が低下するのです。


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  それでは、行こうとする目的地と、現在地を三角定規で直線を引いて航路を

 設定し、 その線上を航海すれば早く着けるかと言えば机上ではそうですが実際

 の大海原ではそうではないのです。

 ここが、「 自然を観察して知りなさい。」 と、教えられた事でありました。


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   当時、水深が深ければ 深いほど、 波が高く、潮の流れが速いと教えられ

 ていて、 三陸沖という場所は、 小笠原海溝とならんで 波の高いことで知られ

 ていたのです。

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   波が高いと、 艦は上に持ち上げられ、 下にずしーんと沈んでを繰り返す

  のですが、 艦が前に進まなくなっていくのです。

  極端な表現ですが、 波がないと1時間で行ける場所が、2時間もその上も

  時間が必要になって行くのです。

  上にあがって、下に落ちるを繰り返して行くと その先どうなるのかというと

  「船耗。」 と書いて、せんもう と呼びまして、 艦の船体が折れる現象が

  起きていくのです。



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 「ほんまかいな、 うそやろうが。」 と、 信じていただけないかもしれませんが

凄まじい力が艦に加わるのです。

 上の写真は 昭和10年の9月に発生した三陸沖での 通称 第四艦隊事件の

 時の貴重な古写真です。



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   後に 内閣総理大臣になる 米内 光政 閣下達は、 聡明な人でしたが

  戦後知る人は少ないのですが、艦の合理化、強武装を推進されたのです。

  政治家というのは よいことも行っていますし、悪い事も行っているのです。

  問題は その比率にあるのです。 

  米内 光政 閣下は、 昭和20年に終戦工作を鈴木貫太郎閣下と推進して

  行った聡明な軍人であり、政治家でありました。

  それはどうしてかというと、軍縮条約で保有トン数制限があったので、艦を軽く

  して武装を強化することが進められ、 それを当時 米内閣下達が推進して

  行ったのです。


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   結果、 薄いペラペラの艦の船体と、重たい重武装となった艦は波で

   折れていったのです。

   こう言う事件は後11年後の事件ですが、そのような海が荒れる場所に

   高松宮殿下をお連れするのは 殿下のお体によくないと 練習艦 浅間の

   軍医長や軍医が意見具申した理由であったのです。



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    それでは 陸地に近い沿岸を航行すればよいではないのかとこうなるの

  ですが、それが大変危険であったのです。

  横から波を受けて 流されて岩礁に衝突する危険があったのです。

  特に 夜の暗闇の中では要注意でありました。

  そういう事情で甲解答の航路設定とは、大回りになっても 1度 太平洋側に
  
  大きく転進し、波の穏やかな海面を南下する航路設定をすると、距離は伸

  びてもスムーズに艦が進むことが出来て、目的地に早く到着するのです。


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  私達 海軍兵学校 第五十二期の少尉候補生は、 浅間、 出雲、八雲の

3隻の練習艦に乗り組み、 「 まず 自然を良く知る。」 と言うことについて、

荒れ狂う 岩手県沖で 雑用を行いながら 体験していったのです。

 結果、 多くの同期が 船酔いとなり、 食べた物を吐いて、 吐く物がなくなると

 胃液を吹いていったのです。

 それは、海軍に入営すると だれもが経験する通用門のような事柄で、

 下士官達は私達の苦しむ姿のそれを見て、 「 はぁーーーっ。」 と ため息を

 ついていたのを 記憶しております。


  【 明日に続く。】