第2508回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
2018年12月13日木曜日の投稿です。
1924年 大正13年の9月、 私達 海軍兵学校 第五十二期の少尉候補生
荒波の通過して 千葉県の房総半島沖に到着したのです。
私達には行き先の連絡、告知は無かったのですが、 おおよその現在地は
天測の実習で 把握していたのです。
ただし、宮城県の仙台あたりに行くのではと 周囲とひそひそ話をしていたのを
記憶しています。
ところで 房総半島の館山沖で何をさせられたのかというと、課題の1つ、
「 自然を良く知るべし。」 という そういう見学が短時間ですが行われたの
です。
私達は 2回に別れて 別々に上陸していったのです。
館山の沖合に 当時島があって、 1年程前の 大正12年の9月1日に
場所を見学しに訪れたのです。
【 関東大震災前の 館山の海 】
ズムでそう言う現象が発生したのか よくわかりませんでしたが、後に 海軍が
飛行場を造る事になろうとは当時 予想もしませんでした。
【 大正13年 頃の 隆起した 館山沖合の干潟 】
当時は 陸地というか 干潟と表現した方がよいような そんな感じでありました。
海底が、 戦後で言う 関東大震災で 隆起して上にあがったようです。
後に、 縄文時代には 水面が100メートル 下だったそうで、陸地が出来る
と言う事は、 館山の滑走路の下には マグマが噴出する断層があるのかも
しれません。
【造成、埋め立てされた 日本海軍 館山航空隊 基地 】
三浦半島、伊豆諸島などに大きな被害をもたらしたのです。
人々を 泥海に吸い込んでいったそうです。
そして あるところでは 地面が沈下し、 あるところでは 地面が隆起して
いったわけです。
ちょうど 館山の沖合は、 どう言うわけか、 海面が上がっていったという
わけです。
どういう危険があるのかというと艦船の操舵を行う場合、用心しないと海図
私達は 大自然の力を見学して当時多いに驚いたのです。
そして、「次は、 間違いなく 横須賀に入港やな。」と 思ったのです。
焼け野原になった 横須賀がどうなったのか 早く行ってみたいと
思ったのでした。
【 明日に続く。】