第2515回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第2514話 治安維持法の成立前年の世相のこと。
2018年12月20日木曜日の投稿です。
【大正13年当時の内閣総理大臣 加藤 高明 子爵 】
【 前話の続きより。】
前年の与党 政友会が 派閥ごと分裂して政党を名乗り、野党に転落し、
改正などは出来ず、 そこで 当時の 加藤 高明 内閣総理大臣らのグループ
が智恵をしぼったのが、 どうしたら軍人が進んで内閣に協力してくれるのかと
いう事でありました。
当時 陸軍は 上原 勇作元帥の一派と、田中 義一 陸軍大将の一派に
別れていて、 現金を配ったり、 いろんな事を行ったようです。
海軍のほうも、 山本 権兵衛 海軍大将の一派の 本省派と、その反対勢力
そこで考え出され利用されたのが 第1次世界大戦の終結の翌年の大正9年
大量虐殺事件でありました。
以前 数回に分けて紹介したのですが、我国では 通称、尼港事件と呼んで
います。
暴動を起こし、 沖合にたまたま停泊していた支那人の海軍の軍艦が日本軍を
砲撃し、 欧米人を含めて 6500名が処刑された痛ましい事件でありました。
その後、捕虜になった兵士、軍医や看護婦も含めて、朝鮮人によって斧で頭を
叩き割られて殺害されると言う、 日本陸軍始まって以来の不名誉な屈辱的な
出来事でありました。
海軍も、 外務省の石田副領事らを護衛していたのですが、陸戦隊が支那人
共産主義者に攻撃され、全滅するという 不名誉な事件であったのです。
陸軍も 海軍も、 人の財産を国家の所有物と叫んで略奪し、財産を守ろうと
抵抗する人達を捕らえて、人民裁判なる一方的な裁判を行い、 斧で頭を叩き割る
何とかしないといけないと考えていて、 これを 加藤 高明 内閣総理大臣らは
利用しようと計画したのです。
以前紹介したのですが、 陸軍が シベリア出兵で米などの食糧品を
に補給物資として送っていたのです。
そうすると、財閥や、商社やブローカーが買いあさって 食糧品などの価格が
2倍、3倍、4倍、5倍 と高騰し、 庶民の生活が成り立たなくなり、各地で
暴動が発生していったのです。
この出来事を 大正の米騒動と呼びます。
陸軍が 戒厳令を敷いて 武力鎮圧し、 警戒を強めていたところに、尼港事件
が発生し、 さらに 関東大震災が発生したのです。
「朝鮮人が井戸に毒を入れたらしい。」 「 尼港事件の時のように 日本人を
襲っているらしい。」 「 共産革命を起こそうとしているらしい。」 「 支那人が
徒党を組んで 女を強姦するらしい。」 などと言う 流言が発生し、暴動に発展
していき、陸軍が鎮圧に動いていったというお話しを以前紹介したのですが、
を否定する 非国民を取り締まる法律の制定を求めていたのです。
特に陸軍では、 憲兵隊が動きやすい法律の制定こそ、国家の為であると言う
考えが根強かったのです。
そこで、 この懸案の課題に 加藤内閣と三菱が取り組むのでぜひ 陸海軍に
協力をお願いしたい。」 と、 呼びかけと、現金配りを行って行ったそうです。
【明日に続く。】