第2516回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2515話 政治家の善悪の計量のこと。2018年12月21日金曜日の投稿です。






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   【 前話の続きより。】


    政治家の善悪の計量とは どんなことかというと、 どんな政治家も良い

   ことばかり 行ってはいない、 悪い事も必ず行っているというお話しです。


   東京の早稲田大学の創立に深く関与した 大隈重信という人は、戦後では

 良い政治家とされていますが、悪い事もされているのです。

 彼が イギリスと話をして始めた シベリアへの派兵は、多くの国民を苦しめ、

 多くの人が亡くなったり、食糧投機が原因で多くの人が生活基盤を失っていった

 のです。


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   日清、日露、台湾征討、北清事変で、手が吹き飛んだり、足が吹き飛んだり、

  戦争の後遺障害者の人達は、 除隊後、戦後で言う 軍人恩給が国から

  支払われ、 片足や、片手で なんとか暮らしを立てていたのですが、加藤

  友三郎 内閣総理大臣は、「 お国の為に。」 と呼びかけて、一方的に支払い

  をやめたのです。

  これによって、自殺をしたり、生活苦から多くの傷痍軍人が地獄に落ちていった

  のです。

  このように、政治家というのは 良いことも悪い事も行っていて、 その比率が

  良いという方が多いと、 良い政治家となるようです。



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  陸軍がシベリアから手を引いたのは、当初予想していたより シベリアの地が

 雪と氷と木材しか取れない 不毛の地と知ったからと言われています。

 北海道程度は農業が出来ると推測していたようです。

 実は、それも出来ない程度 金にならない不毛の氷の台地であったのです。

 それを維持するのに、 兵力を展開すると 軍事費がかかるわけです。

 それを維持できなくなっていったのです。

 つまり 金が無くなり、 外国からの借金が増え、経済破綻していたところに

 

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  関東大震災が発生し、 大日本帝国の大蔵省の国庫はスッカラカンとなって

 いったのです。

 大正13年の当時、 加藤 高明 内閣総理大臣は いろいろ打つ手を考えて

 いたようですが、これ以上増税も出来ず、 金が無ければ、何も出来ない、そんな

 状態であったそうです。


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   そんな中、世界中に影響力を発した、 地中海の細長い国 イタリー王国、

  こと 戦後のイタリアの指導者 ベニート ムッソリーニ と言う人の行動は

  庶民に希望を与えていったのです。

  そして 新しい試みが 世界から注目されていったのです。

  彼は、初めて 政党の制服を考えて採用したことでも知られています。

  イタリー戦闘団 ファッシーという退役軍人会の制服を 黒で統一したのです。

  イタリー人は自信を持たなくてはならない。

  子供の間引きを禁止し、出産を奨励し、妊婦を保護していったのです。

  子供の義務教育を確立し、 子供を学校に行かせない親は厳罰を加えたの

  です。

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  彼は、オペラの演技を模倣した 独特の演説で、人々に活を入れていったのです。

 こういう記録ニュース映画などを視聴した 日本人は、 一介のフランス語教師で

 退役陸軍軍曹であった ベニート ムッソリーニの姿を自分に重ね合わせて、




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 多くの日本人が、 自分にも出来るに違いないと 活動を始めていったのです。

 それは、日本だけでなく、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアなどにも、

 イタリーのファシスト党を模倣した人達が動きだしたのです。 

 何も決定出来ない、議会を無くして、 1人の指導者が責任を持って 即断

 即決して、国民の為になる事を決定し、 国民はその決定に素早く従い、

 国家の繁栄を求めていくべきだという風に思う様になっていったのです。

 

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  それだけ どこの国の議会も 国民から信用されなくなっていたのです。




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  多くの人が ムッソリーニを参考にしたのですが、 その中の1人が あの人、

 そうーー バイエルン共和国の諜報員であった、 アドルフ ヒットラー と

 退役陸軍少尉 ルドルフ ヘス という青年であったのです。

 2人とも、多いに ベニート ムッソリーニ 先生の影響を受け、総統と、副総統と

 なって、 世界を戦争に巻き込んでいったのです。


  【 明日に続く。】