第2517回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2516回  第2次世界大戦の起源のこと。


                       2018年12月22日土曜日の投稿です。





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  1924年 大正13年9月後半、 私達、海軍兵学校第五十二期の少尉候補生

横須賀鎮守府に入港していた当時、遠くヨーロッパの バイエルン共和国 こと

ドイツのミューヘンでは、 歴史的に大きな出来事があったのです。


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   第2次世界大戦と呼ばれる戦争は多くの人を死に追いやり、悲しませた戦争

 でしたが、 どうして そうなっていったのか、 そうならないようにするためには

 何をすべきであったのか、 人々が安寧に暮らしていくためにはどうしたら平和が

 保てるのか、 もっと別の方法はなかったのか、 こう言う研究を戦後行った人々

 が口々に訴えたのが、 1924年 大正13年のこれから紹介する事が原因の

 始まりであったとしています。


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  一つ目の間違いは、 アドルフ ヒットラーを 単独独房で監禁せずに、ルドルフ

 ヘスと一緒に 拘留したと言う事。

 二つ目の間違いは、わずか半年程度で彼等を釈放してしまったと言う事。

 すべてが、私達が横須賀に入港していた当時行われたようです。

 しかしながら、それは後年の検証であって、 当時はどう言う判断であったのかと

 いう事については謎が多いのです。


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  以前 アドルフ ヒットラーの誕生から、1923年 大正12年のバイエルン共和

国での一揆失敗、 そして 軍事法廷での出来事を紹介したのですが、禁固5年の

刑の判決を受けて収監されたのです。

しかし、わずかな期間で釈放されていった、 このことが 第2次世界大戦の起源

であると 唱える研究者が多いのです。


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  それは何故かというと、 不登校の問題児であったヒットラーは勉強をしてい

 なかった、良くしゃべるのですが、 文章が良く書けなかった、 それ故、彼が

 口頭で発言したことを、 後の 副総統 ルドルフ ヘスがまとめたのが、後の

 「世の闘争。」 と言う文章であったとされています。


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  つまり、 刑務所で2人が同じ部屋で過ごし、話をしていく過程で、ナチス

  基本が出来ていったとされています。

  いったい どんな刑務所暮らしであったのか、 どうして 禁固5年の実刑

  わずか半年で釈放になって行ったのか、世界中の研究者が研究する課題です。


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   大日本帝国外務大臣 松岡 洋右 さんは なぜ 海軍が反対する

  日独伊三国同盟を締結していったのでしょうか、ヒットラーと手を組んでいなけ

  れば日本は焼け野原にならなかったかもしれません。



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    みなさんも 第2次世界大戦の起源となっていった アドルフ ヒットラー

    人生2回目の刑務所暮らしが どんな感じであったのか 一緒に勉強して

    見ましょう。


   【 明日に続く。】